失業・リストラ・転職

「仕事が見つからない」それは社会が原因じゃない。自分を見つめ直したとき天職に転職できた話

冴木愛子さん(女性・40代後半)

仕事が見つからない。真面目に働くし、やる気はある。他社と比べて残業が多いなど多少の条件の悪さだった受け入れる覚悟はある。
それでも学歴だけで、年齢だけで面接さえ受けられない企業だってある。

仕事が見つからないのは、自分に価値がないからだろうか、そうやって自分を追い込んで落ち込んで、ふさぎ込んでいる人に伝えたい。

仕事が見つからないことを社会のせいにしてはいないだろうか?自分に価値がないのではなく、自分に合っていない仕事を望んでいるからではないか?努力を怠っていないか。もう一度自分と、社会と向き合った時、本当に自分が進むべき道が見えてくる。そしてやっと本当の天職に巡り会える天職ができるのだ。

25歳女子の転職

25歳。女性が転職するなら、これが最後のチャンスかもしれない。

経験を積んだ接客業のスキルを元に、さらにステップアップした仕事がしたい。そして今よりもっと良い報酬を得たい。

そこが最後の職場となるべく、腰を据えて働ける仕事を探して私は転職することに決めた。

仕事をしながら毎週求人雑誌で職探し。

本当にやりたいと思えた仕事が見つかり、面接を受けたら合格。退職届けをだし、有給消化で数日休んだあと、すぐに仕事を始めるはずだった。

希望を持って転職先へ

一般的な場合、転職をする時、試験は面接だけの場合が多い。履歴書を持って面接を受け、それだけで合否が決まるのだ。

しかし私が受けた企業は違っていた。まず筆記試験が行われる。一般常識のような国語、数学、英語の3教科のテストを受けたあと、同じ日に作文のテストがあった。

タイトルは「私にとっての仕事とは」だ。この企業に合格したあとから聞いた話だが、筆記テストのできより、作文の内容重視だそうだ。

仕事はただお金をもらうための手段と考えている人は採用されない。いかに仕事に情熱を持ち、その仕事の存在が自分をどれだけ良い影響を与えてくれるのか、

どんなに仕事が自分にとって重要なのかを訴えることがポイントだ。

私は筆記テストの点数はあまりよくなかったのだが、この作文における内容のアピール力が優れていたことから採用されたとあとから聞いた。

冷静に考えてみても私は、一般的な人と比べたら、それだけ仕事に対するやる気はあるということだと思う。

そのテストに合格したあとは、さらに上層界のトップと面談がある。私はこれにもクリアし、めでたく入社の運びとなった。

ところが、入社した当日、まず通されたのは割と照明が暗いビデオルーム。狭い部屋に同期となるもうひとりの女性と二人きりで小さなモニターの前に座らされ、その企業の軸となる教訓が標された20分ほどのビデオを見させられた。

見終わったあとこの内容のテストを行うので、内容をすべてメモして覚えるように言われた。

ビデオは終わればまた最初から繰り返し、これを続けることトータル2時間ビデオを見た。

おそらく、ここから暗示のようなマインドコントロールは始まっていた。それから先輩による話が始まり、「ここへ体験にきた人を入会に導くことで、そのお客様は幸せな道を歩むことが出来る」といった内容で、その時やっとやばい所へ就職してしまったと気づいた。

結局、マインドコントロールに馴染むことなくたった2日間でこの会社をやめた。

うまくいったはずの転職だったが、出鼻をくじかれてしまったのだ。

想像以上に企業はズサンという現実を知る

思わぬところで失業者となってしまった私は、新たな仕事を探し始めた。

受付や受付事務といった、営業や販売ではない接客業で仕事を探していた私は、なかなか思うような仕事が見つからなかった。

当時ひとり暮らしをしていたので、家賃や食費、住民税にいたるまですべて自分でやりくりしなければならない。

それまでに働いた給料を溜め込んでいたので、1年以上仕事が見つからなかったとしても何とか生活出来る自信があった。

でも、求人雑誌が発売されるのは週に1回。そのチャンスに良い仕事か見つからなければ一週間暇な毎日が続く。

月4回のチャンスで巡り合わなければ1ヵ月という月日はあっという間にすぎていった。

そんな2、3ヵ月たったある日、ある全国チェーン店が運営するスポーツクラブの受付の募集を見つけた。

そこは美容室やエステなども経営する企業だ。私はこのスポーツクラブの受付の募集に応募し、後日面接を受け、数日後採用の結果をもらった。

これでやっと失業生活から抜け出せる、と思った矢先のことだった。

ある日、担当者が郵便が届いた。「この度、採用決定とされていたスポーツクラブが閉鎖されることとなりました。つきましては美容室の受付としての採用を検討いただきたい」という内容だった。

つまりスポーツクラブは潰れたので、この採用の話はなくなります。美容室の受付ならば仕事できますよ、といったものだ。

私はその郵便物を見て本当に驚いた。今にもつぶれそうなスポーツクラブだったのならば、なぜ受付を募集したのか。

しかも紙切れ一枚で、スポーツクラブの受付はダメだけど、美容室の受付ならいいですよ的なあっさりとした文面に怒りを覚えた。当然この話は断った。

収入なし、貯金が減ることで精神的に追い詰められる

転職活動がうまく行かず、これは自分に企業を見る目がないのかと、この頃から自信をなくしていた。

働かないということは、収入がないということ。

収入がなくても、人はお腹がすくし、この世に生きているだけで住民税を払う義務が生じてしまう。私は貯金を切り崩して生活をしていた。

1年間は働かなくても生きていける、そう悠長な気持ちでいたのがいけなかったのか、退職してから気づけば8ヵ月が経っていた。

最後の定期預金に手を付けようとした時、それに手をつけてはいけない、という強い危機感を感じた。

そこで、どうしたら収入を得られるか考え、ものを売ることにした。

家にあるいらないゲーム機やゲームソフトをまず売った。

2万円近くしたゲーム機本体は買取価格たった500円だった。ゲームソフトと合わせても2000円にもならなかった。

それでも収入が増えたことで安心感を得た。

お金がないと、人の心はすさんでいくことを知った。

やりたいこと、できること、そしてやりたくないけれどやれること

できればやりたい仕事に就きたい。でもそんな仕事につけないのならば、自分ができる仕事でもいいと思った。

本当は違う分野がいいけれど、受付なら不動産でもいいか、そんな判断だ。しかしそれも採用されない。

そしていよいよ、やりたくないけれど簿記の資格があるから何とかなるんじゃないか、と一般事務の仕事を受けたみた。

一般的に、営業をやっている女性は身なりに気を使い、少し派手な印象、よく笑い、よく話す。一般事務の女性は地味でおとなしめで決して自分の意見をズケズケ言わない。

そんな風に人は見た目で職業を推測することができる。だから私が一般事務の仕事の面接に行ったとき、明らかに浮いていたのだと思う。面接官は私に面接をしなかった。

「君は、一般事務は向いていないよ。履歴書を返すからこのまま帰りなさい」と言われた。面接さえ受けさせてもらえない。これが私にとって世の中から排除されたような決定的な敗北感を感じさせた。

自分を見つめ直す、現実と向き合い天職へ

しばらく死んだように生きていた。今思えばうつ病状態だったと思う。

このまま死んでしまえば楽になる、と自分で死ぬ勇気もなく飛行機が落ちてこないか、突然病気で明日目覚めないことはないかと願う日々だった。それまでやさしく見守ってくれていた友人がある日電話で私に喝を入れた。

「まだそんな生活しているの?バイトでもいいから働きな!」

これが私に目を覚まさせた一言だった。

「これが最後の就職」と意気込んでいたせいで、とにかく正社員で働ける職場を探し、25歳という若くない年齢になったことを受けいれられず受付にばかりこだわっていた。

私は受付の仕事を諦め、27歳からパソコンを始めた。当時30万円したパソコンを貯金を叩いて購入。未来の自分への先行投資だ。

SEをやっている友人からパソコンを習い、ある程度使えるようになったころ、入力業務中心の契約社員の仕事が決まった。

失業を経験している方へ

好きなこと、やりたいことを仕事にしている人って実はそれほどいない。正社員であること、給料がいいこと、そんな条件をすべてクリアした仕事につこうとすることで、私は現実とのギャップに自分で自分の首を締めていたように思う。

契約社員でも居心地の良い職場、やっていて楽しい仕事ならばそれでいい。そう思えたのも、この会社で出会った今の夫と結婚したからだ。

ここで彼と出会うために、他の仕事でうまくいかなかったのかもしれないと思えるほどだ。

のちに私は「文章を書く」という幼い頃から続けている一番好きなことを職業にした。

「在宅ライター」という社員でも契約社員でもない立場ではあるが、好きなことをやって収入を得る天職につけた。

仕事が見つからない。その理由は、身の丈に合わない条件を望んでいること、自分に合わない職種を選んでいること、様々な理由が考えられる。

冷静になって自分を見つめ直し、今の自分におごれることなく努力することも忘れてはならない。

そのうちに、自分にちょうどいい仕事に巡り会える。そしてすべての苦労がそのためだったのだと思えるほど報われることだろう。