ゆきのんさん(女性・20代後半)
「いじめ」
それは学校現場における最大の問題であり、永遠に解決しない問題でもある。
大人たちが世界中で戦争をやめることができないのと同じように、子どもたちもまたいじめを止めることは難しいだろう。
わたし自身も人生の半分をいじめと戦ってきた。
ある時はいじめられる側に、そしてまたある時はいじめる側に、何度も何度も同じことの繰り返し。
人が怖くなり、特に女性が怖くてなかなか近づくことができなかった。
話すことも怖くなり、言葉がしどろもどろになることもあった。
そんないじめから乗り越えることは、子どもは非常に難しい。
教室の中という狭い空間からは逃げ出すこともできない。
卒業するまではその集団の中から抜け出すことができない。
一度目をつけられたが最期、いじめの標的にされて、友達だった子まで自分の敵になる。
独りぼっちの寂しさ、そして「乗り越えなければならない」という教員の圧力、その二つに押しつぶされそうになった。
そんな「いじめ」に苦しんでいる子どもたちへ、わたしからのメッセージを受け取ってほしい。
〇親の転勤、初めての転園
幼稚園に入園してまもなく、親の転勤が決まった。
せっかくお受験をして入った幼稚園、クラスのみんなとも仲が良く、先生も大好きだった。
しかしたった2ヶ月で離れなければならなかった。
原因は親の転勤。
親もその時は「子どももまだ小さいし、新しい幼稚園でもうまくやっていけるだろう」と思っていたようだ。
しかし現実はそんなに甘くなかった。
ここからわたしの地獄は始まってしまったのである。
人生の半分をいじめに会うことになった原因・背景
田舎の保育園、既にグループが固まっていた
お受験で入園した幼稚園とは違った雰囲気の保育園、わたしはそこに入ることになった。
最初は大好きだった幼稚園バスが来ないことに驚き、おばあちゃんと一緒に直接保育園に行かなければならなかったことにも驚いた。
わたしはクラスに入り、今まで通りお友達に話しかけた。
一緒に遊んでもらえると思った。
それが当たり前だと思った。
「あーそぼ!」
その言葉に返された返事はわたしの予想とははるかに異なるものだった。
「いやだ。あっち行って。」
初めて聞いた言葉だった。
そう、わたしは生まれて初めて仲間外れにされた。
わたしが入園したのは田舎の保育園。
田舎の子どもたちは保育園に入る前から近所の子どもと交流があった。
そう、保育園自体はたった2ヶ月しか経っていないが、子どもたちの関係は生まれた時から始まっていたのだ。
そこに突然「異物」であるわたしが放り込まれた。
みんなは「異物」であるわたしを拒否したのだ。
わたしの地獄のいじめは、この時から始まってしまったのだ。
小学校に入っても続くいじめ
小学校に入園しても仲間外れは続いた。
しかしやっと2人ほど友達ができた。
小学校3年生まではその子たちと仲良く遊んだ。
しかし、ある日から突然友達の様子が変わった。
何故かわたしへの攻撃が始まったのだった。
「トイレに行くな」「テストで0点取れ」「〇〇委員会には入るな」
そしてその子は必ず最後にこう付け加える。
「守らなかったら絶交だからね。」
嫌だった。
せっかく一人じゃなくなったのに、また独りぼっちになるのは嫌だった。
わたしは必死に言いつけを守った。
時にはトイレを我慢しておもらしもした。
成績優秀で100点が当たり前だったわたしが0点を採ったこともあった。
体育でわざとできないふりをしたこともあった。
委員会の仕事をわざとサボって先生に怒られたこともあった。
比較的成績が良かったわたしには屈辱だった。
でも一人になるよりはマシ、そう思って必死に頑張った。
そこに気が付いたのは担任の先生だった。
先生はこういった。
「まだ人数が少ないじゃないか。
これを乗り越えられなかったらどんどん人数が増えて大変なことになる。
嫌なことは嫌と言わなければならないよ。」
でもわたしにはできなかった。
そんなことしたら絶交だと言われる。
子どもにとって、ぼっちになるということは何より辛いことだった。
先生はわたしが風邪で休んだ間に学級で話し合いをしてくれていた。
そこで決まったことは「お友達のグループを強制的に組み直すこと」だった。
何も知らないわたしが登校するとその子は「今日は別行動ね」と行ってきた。
わたしはわけがわからなかったが、凄く安堵した気持ちになった。
そのあとお友達グループを分けられたことを知った。
わたしが入れられたグループは割と気の強い女の子のグループだった。
わたしが苦手なタイプの女子グループだったのだ。
みんな優しくしてくれてるのは分かっている。
けれど、わたしには苦痛でしかなかった。
中学校入学、また新たないじめに巻き込まれる
中学校に入学すると2つの小学校が一緒になった。
しかしわたしの小学校の方が人数が圧倒的に多かったため、半分以上は元の小学校の人々だった。
今更キャラを変えるのは不可能だった。
そしてひょんなことから、あちらの小学校だった女子に目をつけられた。
またいじめが始まってしまったのだ。
靴の中に画びょうを入れられたり、悪口が書かれた紙を靴の中に入れられたりした。
すれ違いざまに舌打ちもされた。
またか、そう思って本当に苦しかった。
ある日、歌手になることが夢だったわたしは近くに「ジュニアのど自慢」が来たので出場することになった。
残念ながら予選落ちとなったが、予選の模様がテレビで放映された。
それを見ていた保護者がいて、少し噂になった。
そこまではよかった。
その噂が子どもたちにも広がり、ついにいじめっ子グループにも伝わった。
トイレに連れていかれ、「歌ってみてよ」というところから始まった。
遂には学年中の人を集めた中で無理やり歌わされた。
歌唱力には自信があったが、伴奏も何もない状態で歌ってはうまくいかなかった。
そこからいじめはエスカレートしていく。
「調子に乗るな」「へたくそのくせに」
そんな紙が靴の中に入るようになった。
教師には相談していた。
しかし、あることでその教師から叱られた際、今でも忘れられないとんでもない一言を言われた。
「あんた、人のことばかり言ってるけれどまずは自分なんじゃないのか」
もう誰も信じられなくなった。
やっぱりわたしがいくら助けを求めても「面倒だ」としか思われてなかったのだ。
もう誰を信じてもいけない、死んでしまいたい。
でも勇気が無くて死ぬことはできなかった。
転機到来、高校入学
転機が訪れたのは高校に入学した時だった。
わたしは進学校の女子高に入学した。
女子が苦手だったが女子高に入学したのだ。
それはわたしの夢は教師になることだったからだ。
いじめに苦しんだわたしは何度も教師に助けを求めた。
しかし的確な支援をしてくれた教師は一人もいなかった。
わたしはそんな生徒に気付いてやりたい、守りたい、その一心で教師を目指すことにした。
そして女性を克服しなければならないと思ってあえて女子高に入学した。
そこは進学校というだけあってみんなそれなりに頭が良かった。
そして、校風のためか凄く元気が良かった。
入ってみて気付いたのだが、そこにはわたしの苦手なタイプの女子がいなかったのだ。
陰口を言う人もいない、いじめもない。
みんなが一人一人を思いやっていた。
わたしも、自分の中学校からこの学校に来た人は少なかったので、本来の自分を出すことができた。
明るく、よく笑うわたし。
そう、本来のわたしにキャラチェンジすることができた。
いじめに悩むことなく、人間関係に悩むことがなく、初めて楽しい学校生活を送ることができた。
人と話すことにも少し慣れてきた。
職員室も教室も怖くなくなった。
友達もたくさん増えた。
アニメも漫画も音楽も、わたしの特殊な趣味を理解してくれる人がたくさんいた。
わたしはいじめの連鎖からやっと脱出することができたのだった。
いじめを経験している人へ
いじめは本当に辛いこと。
誰にも言えない、誰も理解してくれない。
「乗り越えればいいじゃない」「離れればいいじゃない」
大人は簡単に言うけれど、それは子どもにとっては本当に難しいこと。
死にたいと思うこともある。
もう楽しいことなんてない。
何をしても楽しくない。
そう思う時がある。
でもね、学校生活ってそんなに長くないの。
小学校は6年、中学校と高校なんて3年しかないの。
長い人生の中でそのくらいしかない短い期間、あとからになれば思い出になる期間。
卒業してしまえばこっちの物なんだよ。
いじめをしてくるようなバカな奴は心の中で見下せばいい。
卒業してから立派になって見返してやればいい。
そう、卒業しちゃえばいいの。
我慢なんかできないよ、そう思うかもしれない。
でもそこで頑張って苦労したことってあとから自分に良い結果として返ってくるから。
人生の中でね、苦しい経験をする時間ってみんな一緒なんだって。
今苦しい人は、あとからきっと素敵な未来が待ってるよ。
必ず克服できるから。
だから、「あいつらはいじめなんてくだらないことやってるな」って心の中で見下しながら、卒業してしまえばいいよ。
明るい未来に向かって、さあ行こう。