うつ病

まさか自分が、、克服できたのは自分を認めたことと周りの助言があったから。

あーちゃん(女性・30歳)

現在、会社員の事務職として一人暮らししている。

20歳の時に社会人となった私は、その2年後に鬱病、摂食障害、無月経との診断を受け、休職に入ることになった過去があるが、

自分には無縁だと思っていた病気だった鬱病になった経緯と経過、克服し普通に穏やかな生活が送れている今だからこそ、俯瞰してとらえられる自分過去について話をしていきたいと思う。

同じような悩みを抱えている人、同じ年代の人には他人事だと思わず読んでほしい。

あんなに飲んでいた薬も通院していた病院にも、今は通っていないし、投薬も受けていない。

人間ってもろいけど、それ以上に強い!そう思えてる、今に感謝したい。

生きていてよかったし、体調を崩す前以上に笑えてる自分を褒めてあげたいと思う。

鬱病なんて無縁だった私が発症する

学生時代のことを思い出すと、周りからとにかく活発だと言われた。

小学校の休み時間には、外か体育館に行って男子を遊び、下校後も児童館に行って遊ぶか習い事に通っていた。

中学生のときには、多少は女らしさ?(笑)しおらしさが出てくるが、基本は変わらずパワフルで元気な印象だったと思う。

高校生になってからは、小さい頃から続けていた競技の強豪校に入学したため、部活漬けの毎日となった。

身長も高い方でショートカットでいたため、制服が似合わない女子だったと思うし、男子からの印象も女子かしさは皆無で逆に近寄りがたかったようだ。笑

また、小学校の頃には児童会の委員長を、中学校の頃には生徒会の三役で副会長を、高校の時には、部活漬けながら、ルーム長(学級委員長)を担当し、部活ではキャプテンとして、チームの中心にしたし、実力も一番でい続けようと思った。

学校の成績も負けたくないと、クラスでも1番争いをすることが多かった。

頑張れば結果はかなrずついてくる、頑張らないことは甘えである、怠けであるという、白黒しないと気がすまない性格だと自負している。

グレーゾーンは基本的には好まなかった。

体調を崩していると自覚したとき

前述したとおり、20歳で就職し公務員となった。

いくつかの公務員試験を受けて全て受かって選べる状態だった。

その中で周りとそうだんして就職先を決めた。

就職して、1年が経った頃、生理がとまった。

1か月、2か月経ってもこなかったから、さすがにやばいなと思って婦人科に行った。

一連の検査をして、病的な原因は見付からなかった。

ストレスや食生活が原因ではないかと言われ、思い当たる節はないわけではなかったが、それを認めたくなかった。

投薬治療で生理を起こさせたが、またその次の月は来なかった。

投薬や注射をして次も人為的に起こさせたが、次の月に自力でくることはなかった。

そのときの自分は生理がなくて逆にラッキーと思っていて、時間もないし、もう通院はいいや。と思い、そのまま半年以上放置した。

そして、就職して2年が過ぎた頃、朝仕事に行くため、朝起きようと思ったが、身体が全くいうことをきかず、起き上がることが出来なかった。

さすがにこれはまずいなと思い、その日は申し訳ない気持ちがありながらも休みをもらい、当日に行けそうな診療内科を探した。

それまで、自分の異変に全く気付いていなかったわけではない。

食欲が落ちてるなと思ったし、痩せてきてたし、夜も思うように寝れていなかった。

愛想笑い以外笑うこともなくなってきてたし、沈んでる気持ちが続いてるような感覚ではあった。

それを見て見ぬふりはしていたと思う。

そして、診察をし始めてもらったとき、まず大粒の涙が滝のように流れ止めることが出来ずしゃべることもできなかった。

看護師さんに背中をさすってもらいながら、思っていること、考えていたことを全て喋った。

先生に「今まで頑張ってきたんだね。その証拠に身体と心がSOSを出したんだよ。少し休んで欲しいって。」

また涙が出た。

あーずっと気が張ってて苦しかったんだな。そう思った。

休職し鬱病の自分と向き合う

すぐに休職に入った。

一人暮らしだった私は、一旦実家に戻って親元で療養することになった。

毎日、仕事をしていて休日もそれなりに何かをしていた私は、急に現実と向き合わなければならなくなった。

「休むことが仕事」と言われたが、その意味を理解する前に、ただただ迷惑をかけてしまっていて。親にも周りにも申し訳がなかった。

どうしてこうなっちゃったんだろう、、なんで私はこんなに弱いのだろう、、みんな頑張ってるのに、、後悔しかなかった。

この時が一番、生きている意味がわからなかった。

だから、死にたいと毎日思っていた。

初めての診療内科のときはあんなに涙が出たのに、そのときから一切、涙も出なかったし、笑うこともなかった。

生きていてもいいことない、死んだ方が楽だ。と毎日思っていた。

しかし、親はもちろんだったが職場の方が本当にいい方達ばかりで、みんなが口を揃えて「今まで頑張ってきたんだから、充電期間だと思ってゆっくり休んでね。元気な〇〇さんとまたお仕事がしたい!」と言ってもらえそこから、少しずつ意識が変わっていった。

今、自分は心身が疲れているから、一旦止まって休ませてあげることが必要なときなんだ。

まず毎日規則正しい生活を送ること、家族の料理当番として家事をすること、心療内科と婦人科、両方の治療を行うために決まった時間の服用と通院を守ること。

当たり前のようなことをして、出来たら自分を褒める。まずはそこから始めました。

2歩進んでは1歩下がっても確実に前進

その生活をしていく中でも、上手くいかないことがあるわけだ。

今までの自分はそこで自分を責めていた。それをそういう時だってあるよね。人間だもん。という風に解釈するようにした。

休職して一年が経ったとき、すごく悩んだが、退職して療養に専念する選択をした。

職場の方に申し訳ない。待たせてしまったいる、、そのプレッシャーが多かれ少なかれあったからだ。

退職後も一進一退の生活を送りながらも、徐々に負荷をかけていくようにした。家事を増やしたり、ランニングに行くようにしたり、アルバイトをしてみたり。

それに比例して、投薬は減り、生理も自力でくるようになった。

心療内科系と婦人科系の投薬が完全に無くなって、自力での生理が安定してくるようになるまでに、休職に入ってから5年以上経っていた。

無縁だと思っていた鬱病を経験して伝えたいこと

今は、一人暮らしをして、正社員として仕事に励んでいる。

毎日が楽しい。

仕事でイライラすること面白くて笑うこと、仕事帰りに職場の人や、友人と飲みながら愚痴を言い合ってリラックスすること、当たり前の生活が楽しくて幸せしょうがない。

過去の自分や体調を崩してからの自分を思い返すと、生きていくことに不器用さを感じられる。

一生懸命やり過ぎていたし、無理しすぎていたのかなと思う。

ありのままでいいのにと、今の自分なら、昔の自分に伝えられるだろう。

もっとこうしていれば、ああしてたらとタラレバにも今もなる。

後悔は昔ほど、ないものの後悔が多少残るのは承知しているし、これからもそれを背負って糧にして生きていかなければいけない。

少なくとも体調を崩す前よりは、生きていくことに器用になっているはずだと断言できるし、今の自分を多いに誉めてあげなければいけないと思う。

やっぱり私って強かったな!と、誰でも経験できないことを経験できたわけだから、その点は良かったと思っている。

同じようなことで悩んでいる人のチカラになるよう、同じ年代の人には他人ごとだとは思わずに読んで欲しいと思う。

そのままの自分でいいん、自然体が一番、自分も周りも幸せになれる。