
DV・束縛夫と離婚、高校時代の同級生と復縁した話
著者:美佐(仮名)
はじまり
七海ちゃん、久しぶりー。前に会ったのって亜里抄の結婚式以来だっけ。急にどうしたの? え? 榎下君と結婚することになったから結婚式に来てほしいって?
びっくりした! だって付き合っていたのって学生時代でしょう? 復縁してまた付き合うようになって結婚したんだ。運命ってあるんだね。七海ちゃん、榎下君のことずっと忘れられなかったんだ……。
結婚式に招待してくれるのは、とっても嬉しいんだけど、うちの旦那に聞いてみないと分からないのよね。確かに私は専業主婦だし、ガーデニングくらいしか趣味はないから時間はたっぷりあるのよ。
でも、ほら、私が住んでいるところってすっごく田舎でしょう。七海ちゃんが初めて家に来た時「天空のナウシカだ!」なんてからかってきたり。だから、修二さんが出かけるのに心配してくれるの。
ちょっとー笑わないでよー。
え? 電話占いで相談をしたら復縁できたって? ふうん、電話で占い、か。昔とは違っていろんな占いの方法があるのね。
「電話占いヴェルニ」に登録してみたらって?
私は必要ないわよ。だって修二さんがいるんだもの。じゃあ切るね、また、修二さんに結婚式については聞いてから電話するから。またね。
現実
「通話時間七分五十二秒……誰と電話をしていたんだ」
私の携帯電話は、修二さんが帰ってきたらいつも私の携帯電話をチェックする。やましい男と電話をしていないか、メールをしていないかのチェック。
でも私の携帯には修二さんと、あとは学生時代の友達が数名。両親は亡くなっているから電話帳には入っていない。
「大学時代の同級生の七海ちゃんと電話をしたの。結婚式に来てほしいらしくて」
修二さんは、私が作ったご飯に手をつけない。
機嫌を損ねてしまったようだ。昨日だって、いつもより遠いスーパーに行ったから、ご飯は食べないでごみ箱に捨てられちゃった。
私が浮気をするために、男に会いにいっているって修二さんは疑っているの。不倫なんてしないのに、修二さんなのにいつも信じてもらえない。なんでか分からないけれど、私がいつも機嫌を悪くさせちゃう。
「学生時代の友達の結婚式に行きたいだなんて、男に会いたいがための言い訳だろ。美佐は、すぐ男に走るんだから、大人しくしているのが普通だ」
修二さんは、強くテーブルを叩いて、夕飯をごみ箱に捨てた。
「ごめんなさいっ。行かないから許して」
私が懇願すると、修二さんは、たいてい無視をして、部屋にこもってしまう。夜中に冷蔵庫を漁って残りものを食べているのは知っているから、残っている自分の分にラップをかけて冷蔵庫に入れた。
一人きりになると、最近涙がこぼれる。
思いやってくれる夫がいて、幸せなはずなのに……どうして竹内君の顔が浮かぶんだろう。きっと七海と電話をしたからだ。
高校のころ
七海と私は高校時代の同級生だった。全寮制で同室だったからすぐに仲良くなって、お互いに好きな男の子を話して盛り上がっていた。その時に七海は、榎下君と、私は、竹内君と交際をしていた。
竹内君は、今でいう塩顔で、細見だった。かっこいいというより綺麗な男の子で、私は、自覚がないまま恋に落ちていた。まだ、高校生だったから、自分からアタックする方法が分からなくて七海に相談をしたら、七海に高校の近くの駄菓子屋でお婆さんが占いをしているから行こうと誘われた。
お婆さんは、私はと竹内君は愛称がいいと、告白を勧めた。私は、勇気を出して告白をした時、「俺も……実は好きなんだ」と照れながら答えた彼のはにかんだ顔を今も覚えている。
七海は、私が告白をする前に、ちゃっかり榎下君と交際をしていて、私たちとグループ交際をしていた。
その時に、みんなで私の実家に行って、「ナウシカ」「ナウシカ」って馬鹿にされたっけ。
七海は、数年前に、榎下君とケンカ別れをしたのだそう。その時は、「婚活でもしようかな」と元気いっぱいに言っていたが無理をしているのが分かった。
私も四年前ほどまでは竹内君と交際をしていた。
でも、写真家になる夢を追いかけて海外に留学をして帰ってこない、竹内君がいない寂しさに負けて私は別れを切り出した。別れるつもりはなかった。竹内君は日本に戻って結婚をしてくれると思った。
本当は、海外についていきたかったけれど、私は家を継がなくてはならずついてはいけなかった。
竹内君は、その頃、夢以外は見えていなかった。すんなり別れを受け入れて去っていった。
別れるなんて言わなければよかった、と何度も何度も後悔を繰り返し、電話をかけたりメールをした。「やり直したい」と縋った。でも、竹内君からは返信はなく、私は最初から愛されていなかったのだと悟った。
その頃、紹介された修二と出会い、結婚をして今に至る。
竹内君の笑顔を思い出すと、もう一度、私を見て笑ってほしい、と願うようになっていた。それは、四年以上経つのに、思い浮かんでは消える感情だった。
私が七海の結婚式に行けば、竹内君と再会をすることになる。
それは、両親を亡くした、私の家を継いでくれた修二への裏切りなのかもしれない。
束縛
「もしもし、私、七海の結婚式に参列する。でも招待状は送らないで」
『なんでよ? 美佐、高校時代とは違って声に覇気がないよね。何があったのよ? 教えて、ね?』
七海は、いつもサバサバしていて何に関しても好奇心旺盛だ。
そのするどさは、私が竹内君をクラスでよく見ていると当てた時のようにありがたいこともあれば、いまのように困ってしまう時もある。
「ポストが壊れちゃったの」
嘘だった。
でも、修二さんに知られないように七海の結婚式に行くには、対策をしておく必要がある。
私は、昨日「電話占いヴェルニ」っていう電話占いのところに修二さんのパソコンから登録をして電話にて相談をした。内容は、七海の結婚式についてだった。
そこで初めて、私と修二の結婚生活は普通ではないと知った。モラルハラスメントというやつらしい。精神的なDVで一日も早く逃げなくてはいけない、とも。
「私の後ろに守護霊がついているらしいの」
『なに? 結局電話占いで相談したの? もしかして結婚式で竹内君に会うのに緊張でもしてんの?』
私は困って黙り込んでしまった。
七海は、「高康生の時みたいね」と言い、笑い声が聞こえてきた。
電話占いをかけると決めたのは、衝動的な行動だった、修二さんが寝ている隙に登録をして、昼間に電話をした。
修二さんは、家の近くの私の父が建てた工場で、建築士として働いているけれど、ふらりと様子を見に帰ってくることもある。
しかし、私は、占い電話をした瞬間、修二さんが帰ってくるかもしれないリスクを忘れていた。
占い師に話せば話すほど、私の心の中は、高校時代の楽しい思い出で埋まっていった。
「ねえ、七海にお願いがあるんだけど、竹内君の電話番号を教えてくれる?」
懐かしさは、人を開放的にして、感情のブレーキを壊していくものだと初めて知った。
私は占い師の「守護霊は男の子、あなたの子供ですね」で、驚いた。
男の子の子供はいたけれど、今はいない。
産まれる前に私は、子供を亡くした。不幸な事故だった。
お腹の中で死んじゃった赤ちゃんが私を守ってくれる。ママを守って……。
占い師
占い師によると、電話運はいいらしい。
私は七海との通話の直後に、竹内君の番号を打った。
勢いでの行動だったが、コール音が鳴った瞬間、私の心臓の鼓動は脳天まで響くほど激しくなり、私は緊張をしているのだとようやく気付いた。
『もしもし、どちらさまでしょうか?』
懐かしい、ゆったりした声は、彼の自由な性格を表している。しかし、「どちらさま」と聞くのは、私の連絡先を消してしまっているからだと分かり悲しくなった。
自分は、修二さんに言われるがまま、少ない友達以外の連絡先を消されたというのに、図々しい考えだと分かっている。
でも、竹内君に電話番号を消されたのは、自分の存在を消されたような空虚さがあった。
「美佐です。七海から番号を教えてもらったの」
少し、沈黙があった。
『何があった?』
心配と言いたげな穏やかな声だった。
竹内君は「なにかあった」ではなくて「なにがあった」と聞いた。それは最初から、私が何かがないと連絡をするわけがないと分かっているからだ。
竹内君は、私が既婚者だと知っている。だから、なにか大きな困りごとがないと連絡をしてこないと思っている。
「竹内君……っ。どうしよう……っ。私……私……」
どうしようもない涙がこみ上げ、電話口にも関わらず泣いてしまった。
久しぶりの電話で急に泣かれては、迷惑だろう。しかし、感情のブレーキが止まらない。忘れられていない男性を、うまく忘れて過ごす日もあれば、何度も脳裏に現れてどうしようもなく辛い日もある。それを繰り返して五年間、ようやく忘れられたと思っていたのに……。
『美佐、悪い、仕事があるんだ。また折り返してかけるよ。いつかけたらいいかな?』
すっと涙が止まった。
私が忘れられていないだけで、竹内君は忘れているはずだ。五年の月日は短いようで長い。
「七海の結婚式に行くのか聞きたかっただけだから。大丈夫。気にしないで」
強がりだった。泣いた自分が恥ずかしくて、とにかく竹内君に自分の気持ちを悟られてはならないと思った。
助言
占い師に「捨てなさい」と言われた結婚指輪は今も左手の薬指についている。修二さんに知られるリスクは避けたかった。
電話占いも竹内君との通話も携帯電話の通話履歴を消しておけば、修二さんには知られずに済む。
問題はどうやって結婚式にいけばいいのだろうと考えながらも、修二さんを裏切りたくない葛藤はあった。私は竹内君に会いたいと思っているのだ。
いくら修二さんがモラルハラスメントをしていたとしても、私の心の中の浮気のほうが深刻な問題ではないだろうか?
私は不倫をするような人間だと修二は悟っているからこそ監視をしているだけで、実はモラルハラスメントではないのではないだろうか。
そう考えると、まだ、「逃げる」などは考えられなかった。
修二さんは、今日は機嫌がよかった。
「美佐、昨日は悪かったな」
ほら、きちんと謝ってくれている。
修二さんは、悪くない……悪いのは元彼にあわよくば会えたらと願っている私だ。
「ううん。私も、ごめんなさい」
「いや、俺が悪かった。友達の結婚式、行ってきな。ドレスもプレゼントをしてやるから、俺の嫁に恥ずかしくない、しっかりした服装をしていけよ」
修二さんは、こうやって優しくしてくれる日もある。
内緒で結婚式に参列しなくてよくなったけれど、自分がしようとしていた浮気への罪悪感に、胸が痛くなった。
やっぱり占い師は、大袈裟に「逃げろ」なんて言ったのだ。だって、顔を見て話したわけではないんだから、修二さんの優しさが分からなくて当然だ。
私は、愛されている。いや、愛され過ぎているだけなんだ。
結婚式で、竹内君に会っても、話さなければいいし、会話をしたとしても、すべては昔のことなんだから、私たちが復縁するはずなどない。私には、修二がいて、竹内君にだって恋人や奥さんがいるかもしれない。
私は、メインである七海夫婦を見られれば、それでいい。
「ありがとう、修二さん」
既成概念
「もしもし、やっぱり夫はモラルハラスメントをしていたわけではなかったみたいです」
私は、占い師にそう告げた。
わざわざ電話をかけて伝える必要はないと分かっていても、専業主婦で、さらに近くには娯楽がない所に住んでいる私には、話し相手が必要だった。
「厳しい態度を取ったあとに優しくするのは典型的なDVです」
「私は、暴力は振るわれていません」
少し、イライラしていた。修二さんを悪く言われると、自分まで悪いと責められている気分になる。
「そうですね。昨日は、暴力をふるうことはないでしょう。今日のカードは、あまりいいものではありません。夫の修二さんの態度もまた、元に戻る……いえ、もっと激しいものになるでしょう。早く指輪を捨てて一日も早く家から逃げてください」
カード占いの結果は、悪かったという。
温和な口調には、私を本当に心配してくれている重みがあった。
「私の両親の家なんです。どうしたらいいでしょうか? 七海に頼ったとしても、彼女は結婚を間近にしていて迷惑になりますし……」
私は、修二さんの怒った顔を思い出し、不安になった。
「竹内君は、美佐さんを守ってくれますよ」
「そんな、私は夫がいる身なんですよ! 夫以外の男性に頼ること不倫ではないですか!」
声を荒げると、占い師は宥めるように
「不倫の概念は人それぞれです。しかし、苦しんでいる人を救うことが優先です。竹内君が美佐さんを救ってくれます。すぐに動かなければ、結婚式の参列の前に、取り返しのつかないことになりかねません。お腹の赤ちゃんの時の再来にならないようにしましょう」
体の芯まで、ぐっと入ってくる声に、私はやっと目が覚めた。
「七海の結婚式の日に、竹内君に会う。それでいいですか?」
頼る、とまでは言えなかったのは、罪悪感からだった。
玄関のベルが鳴った。
「夫婦としての運はよろしくはないですが、復縁はとてもいいと出ています。美佐さん、愛は穏やかなものです」
占い師はそう告げたが、私はあまりきちんと聞いていなかった。
すみません、と話し、通話を終わらせた。
展開
「どちらさまですか?」
修二さんに、玄関の相手が男の声だったら扉を開けてはならないと言われている。
「フラワーフェアリーズという雑誌の記者をしている、西田と申します」
声は若い男性だった。
「それで、どのようなご用件でしょうか?」
「お宅の庭の花たちがとても美しいと、知り合いの写真家から言われまして……見せていただくことはできないでしょうか?」
確かに、私は母の趣味だったガーデニングに凝っていて、庭にはなかなかの自信がある。しかし、修二さんに知られたら叱られてしまうため見せられない。それに……。
「どの写真家さんに聞いたのでしょうか?」
家に上げたことのある人間は限られている。でも写真家といえば一人しか思い当らなかった。
こみ上げる懐かしさと期待で扉を開けていた。
立っていたのは、オシャレな髪型をした声と似た若者で、態度にもチャラい若者感は溢れていたが、悪い人間ではなさそうだった。
「あ、あの……」声が上ずった。
西田という記者は、にっこり笑った。
「竹内さんですよ。疑っているなら電話でもしてみたらどうですか?」
「それはできないんです……」
以前の電話で、竹内君に連絡をするのはやめると決めていた。あれほどに泣いてしまっては忘れられないことを知られたも同然だ。
西田は、玄関にある修二の皮靴を見て、「なるほど」と言った。話しの分かる男性のようだった。
「近々、竹内さんを連れて伺いますよ。でも、あの人忙しいからなあ。まあ、なんとかします。いつにしますか?」
西田のへらへらした顔を見ていると、勝手な男だと思ったが言われるがまま交換してしまった。
庭も見せて、写真を撮らせた。私は写真に写らないと言うと西田は不貞腐れた顔をしていた。
「美佐さん綺麗なのに、外に出ないなんてもったいないですよ」
「いえいえ、そんな」
「竹内さんだって、綺麗な子だったって言っていましたよ」
竹内君が自分の姿を思い出してくれた嬉しさで舞い上がってしまい、あとあとのことを考える能力が欠けていた。
「美佐さん、いつものように、手入れをしている写真を一枚、撮らせてくださいよ」
「わ、分かりました」
このような田舎町ではすぐに噂は広まるのに、私は馬鹿だったのだ。
決別
修二さんは、私の「おかえりなさい」に反応を示さず、家に入る。
脱ぎっぱなしの靴を整えていると、髪がぐっと後ろに引っ張られる感覚が襲った。人生で二度目に味わう痛みだった。
一度目は、妊娠をしている時のことだった。
医者が男だと許せない修二さんのために、車で二時間かかる病院に通っていた時のこと。私は、悪阻が酷く、車に乗ることすらできず、近くの産婦人科に駆け込んでしまった。その医師は腰の曲がった男性だったが、「男は男だ。年は関係ない」という修二のもっともな考えにより、髪を引っ張られ、体を大きく揺さぶられた。抵抗をしていると、テーブルに体を強く打った瞬間意識を失った。
この瞬間、私の中にいた胎児は死んでしまっていた。
修二さんはこの話をするのを嫌がるため、もう子供は諦めている。
「やめてっ」
髪を持ち抵抗をする私に、修二さんは初めて怒鳴った。
背中を蹴られて前にいったが、髪をまた引っ張られ、後ろに体が動く。
「男を家に入れるなんて、近所に悪いうわさが立つようなことをするな!」
修二は、近所では、仕事熱心で優しい夫だと評判がいい。
「誰を家に入れたんだ!」
腰を蹴られる。
「ごめんなさい。蹴らないでお願い」
「何をしていた? ああ、想像もしたくない! 俺を傷つけるのがそんなに楽しいのか!」
修二さんは、私を愛しているから嫉妬をしているんだ。放っておいて海外に行く、竹内君とは違う……そう思いたかった。
――美佐さん、愛は穏やかなものです
占い師の言葉が心から滲みだしてきた。
また腰を蹴られる。鈍痛が頭まで響いてくる。
「ごめんなさい」
「お前を監視しなくてはならないようだ。お前のせいで仕事へも行けない。どう責任を取ってくれる? 誰の金で飯が食えていると思っている? 俺が外に出ないとお前は何もできないんだぞ?」
私は修二さんに愛されていない、そして私は修二さんを愛していない。
やっと気付いた、歪んだ真実だった。
助けて…
怪我の手当をしていると、西田の言葉を思い出した。
竹内君が家に来るかもしれない。修二が本当に私を監視するために仕事を休み出したら迷惑をかけてしまう。
調子に乗った私が馬鹿だった……竹内君のことを思い出したから、会いたいと思ってしまったから罰が当たったんだ。
どうしたらいいかわからないが、誰にも相談なんてできない……。
携帯電話が鳴った時、修二さんはお風呂に入っていた。
携帯電話を取り上げられなかったのは運がよかったとしかいいようがない。
もう、助けを呼ぶなら誰でも良かった。
今度はワンコールで電話が繋がった。
「竹内君! 助けて」
『美佐、大丈夫か?』
混乱の中、懐かしい声は、高揚感があった。
「竹内君、なんで?」
『西田が、取材がてらに、近所を回っていたら、美佐の家から、よく怒号が聞こえるって噂を聞いたらしい。あいつは好奇心からだったらしいが、今、怒号と悲鳴を聞いたらしく俺に電話をかけてきた』
「……ど、どうしよう」
『この前の電話で、予想はできていたのに遅くなってごめんな。俺がなんとかする。西田が美佐の夫を抑えておくから、その間に美佐は家を出ろ!』
「でも、私……お金がなくて……」
お金は全て、修二さんに管理をされていたため、両親の遺産は一銭ももらっていない。
「今、榎下たちの結婚式の前撮りの仕事をしていて、ちょうど長野にいる。落ちあおう」
涙が溢れた。
「どうして……」
そんなに優しいの?
チャイムのベルが鳴った。西田が来たと分かった。玄関に向かうと、西田が外に出るように促した。先にはタクシーが停まっている。
「早く、乗って下さい!」
「君は? どうするの?」
余裕綽々の表情をしている西田に尋ねる。
「僕には僕の仕事をするだけです」
さらりと笑顔で返されると、具体的な対策が聞けなかった。
電話運
「ちょっと電話をかけてもいいですか?」
「どうぞ」
運転手は首肯し、かけていたラジオのボリュームを下げた。
竹内君は、電話が繋がらない。運転中だろう。
私は、占い師の言葉を思い返し、電話をかけ事情を話した。
「愛は穏やかなものだと、ようやく気付きました」
口にするのは、少し恥ずかしい言葉だったが、頭に浮かぶ言葉を話すだけで精いっぱいだ。
『本当に好きな人ともう一度、お付き合いをしたいのですね?』
占い師の言葉は、私の思考を読みきっていた。
「でも、もう五年も連絡もしていなかったんです。それに私は既婚者ですし……」
タクシーの運転手が、咳払いをした。
確かに、人前で話す内容ではなかったが、私は必死だった。
不思議なもので、普段は誰にも言えない悩みも、占い師さんには言えるもので、口から修二さんや竹内君の話ばかりが零れ、涙も一緒に零れていく。面と向かって話さないから話しやすいのもあるけれど、占い師さんは、私を受けとめてくれると、暖かな声が感じさせた。
『久しぶりにあった友達と、以前と変わりない関係のように会話ができた経験はありませんか?』
「ありますけれど、元彼の場合は違うような気がします」
『話しあってみてください。美佐さんは、きちんと向き合って竹内君と別れていないから、迷うのです。迷いを断ち切り新しい運命を切り開きましょう!』
やっと心が前向きになっていった。
「ありがとうございます」
電話を切ると、携帯電話を持つ左手に目が入った。
「運転手さん、これ忘れ物みたいですよ」
私は、付けていた指輪を渡し、前もって西田が指定していたビジネスホテルに降りた。
終わって、始まりへ。
ロビーに入ると、携帯電話を触る竹内君の姿があった。五年前と全く変わりない姿だったが、成功者の証なのか、どこか、落ち着いた雰囲気を纏っている。
竹内君は、真剣さのある、どこか怒った表情で携帯電話を見つめていた。いつもは温和なのに、初めて見る表情だ。
「竹内君?」
恐る恐る、声をかけると、表情はいつもの穏やかなものに変化した。
「さっきから何度かけても繋がらなかったから心配したんだぞ。誰と電話をしていたんだよ?」
久しぶり、の言葉はない。五年間の空白を消し去る空気感があった。
「写真家の夢は叶ったのね?」
私が優先されて辛い思いをした夢を、竹内君は叶えた。ついつい嫌味な言葉を放ってしまった。
「榎下たち、とてもいい顔をしていたよ。でも、美佐は当日に見たほうがいいだろ?」
どうやら、七海たちのことを聞きたがっていると勘違いをしている。
「違うの。私、きちんと貴方と話をしたくて……」
「部屋に行こう」
「部屋?」
部屋はツインルームだった。
「なんで?」
竹内君は、また苦笑をする。
「元は西田と部屋を取っていたんだよ。今日は野郎同士、寝ることにならずに済んでよかったよ」
「西田さんはどこに泊まるの?」
竹内君は、問いに答えず、スリッパを取り出し、私の足もとに置いた。
「痛かっただろ?」
私は裸足だったことにようやく気付いた。
部屋の鏡に自分の姿が映った。
髪や服は乱れていて、誰かに襲われたと誰から見ても分かるような恰好だった。
「久しぶりにあったのにこんな格好だなんて情けないよね」
「ずっと頭に思い浮かぶのは、高校時代に見た、あの庭だった」
竹内君が私を直すように撫でる。
「あら、私じゃなくて庭なのね」
「ああ、撮りたいなあって思っていたんだ」
相変わらずの写真好きに呆れた。でも嫌いじゃない。
「でも、真面目な美佐が連絡をしてきたから心配はしていたんだ、だから西田に仕事を持ちかけた。俺は五年間写真しか見てこなかったから……美佐の声を久しぶりに聞いたら、やっぱり、忘れられないよなあ……」
竹内君が照れくさそうに携帯電話の画像を見せた。そこには花の手入れをする私の写真があった。
「あの庭と美佐が自分のものになったらいいのに」
「私はものじゃありませんー」
気づくと、二人で笑い合っていた。
プレゼント
目が覚めると、一枚の紙が机にあった。
白に緑の枠のある紙……離婚届。修二さんの部分が埋まっている。
起きあがると、部屋に竹内君の姿はない。
電話をかける。
「離婚届けってどういうこと?」
「西田からのプレゼントだとよ」
「西田さんはいったいなにをしたの?」
すると、竹内君は言いにくそうに
「昨日の美佐が苦しんでいるところを、あいつ録画していたんだよ。それを持って、脅したらすぐに離婚届けを書いたらしい。すぐに駆け付けた癖に助けずに、録画していたなんて気分は悪いと思うけれど許してやってほしい」
エピローグ
「榎下くん、七海おめでとう」
久しぶりに見た榎下君は、「でも、元サヤってちょっと恥ずかしいよ」と照れた笑みを浮かべる。
「それは、お互いさまってやつよね、美佐」
ウエディングドレスに身を包む、七海がこちらにウインクをした。
「今日は、綺麗に撮ってもらわなきゃ。美佐、竹内君にきちんとお願いしてくれた?」
「大丈夫よ。彼はカメラがなによりも大好きだから。私は永遠の二番目だわ」
私は、会場の端で、カメラを持っている竹内君を見ながら微笑む。
――美佐さん、愛は穏やかなものです
穏やかな本当の愛がこれからまた、始まっていく。