家族関係

待望の赤ちゃんを流産した女性へ:ぶっきらぼうな夫と一緒に!初めての妊娠・流産・悲しみを乗り越えた話

真面目なきょうこさん(女性・40代前半)

待望の妊娠は、1つ1つが初めての経験で、小さなことも心配になり、また、夫や医師の一言にも、一喜一憂してしまう。

医師の言葉は、私にとって、つらい言葉ではあったけれど、夫の励ましで、流産の経験を乗り越えることができた。

夫以外でも、誰かの言葉や態度で、乗り越えることができると思う。

私の中にあった嫌な、他人をうらやましくなる、自分だけ不幸せと感じる気持ちが自分と向き合えていない証拠。

どうか、自分と向き合ってほしい。

嫌な部分に触れ、さらけ出し、乗り越えてほしい。

夫との出会い、結婚、初めての妊娠。そして、流産するまで…

彼とは、友だちの結婚式で知り合った。

2次会の席で仲良くなり、お酒が入っていたこともあって、軽いノリで「また、このメンバーで遊ぼう」ということになった。

知り合ったばかりでしたが、私たち女の子グループ4名と男の子グループ4名は、それぞれアドレスを交換した。

次の日、すぐに1人の彼から連絡があった。

軽いノリだったものの、当時、私が彼と別れたばかりで、何となく毎日が寂しく、次の日曜日も会うことになった。

服装も誠実で、話す言葉も真面目な彼と、その次の日曜も会うことになった。

すぐに結婚が決まった、誠実な彼

彼とは、会ったばかりの頃からなぜか、プロポーズを受けた。

以前の彼は、「好き」や「愛してる」の言葉を口にすることはほとんど無かった。

多くの男性がそうだと、私も勝手に認識していたが、出会ったばかりの彼は、何度も私に「好き」と言ってくれ、すぐに交際がスタートした。

実際に結婚式を迎えたのは、出会って2年後のことだが、2人の中では、すぐに結婚は決まっていた。

私よりも2つ年上の彼は、とても誠実で、女性経験の少ない、どちらかと言えば、ぶっきらぼうな人だった。

「結婚したい」と何度もプロポーズをしてくれたものの、市営団地に当選してから入籍を済ませるなど、手順を細かく考える人だ。

ただ何となく出会った人と好きになって交際し、別れていた私には、もったいない理想の人だった。

初めての妊娠

そんな誠実な彼と結婚し、数カ月が経った時、小さな赤ちゃんを連れた新婚カップルが目に付くようになっていった。

なんとなくそばで見ているだけで、幸せそうに見え、結婚後、半年には2人で、「赤ちゃんがほしいね」と話すようになった。

そして、結婚後1年で、私は妊娠した。

元々、生理も順調で、日程のズレがなかったことから、すぐに体調が「おかしいな」と気付き、病院に行った。

そこで、妊娠6週目であることがわかった。

初めての妊娠に2人で大喜びをして、本当にこの人と結婚して良かったと涙が出た。

病院での診察「赤ちゃんが大きくならない」

病院ではその後、「2週間後にまた来院下さい」とのことだったため、行ってみると、診察で、何か様子がおかしいとの事。

小さな赤ちゃんだったものの、成長が確認できない、心臓が見えないとの事だった。

でも、本当に小さな命だからと、その時には、「また、1週間後にきてください」と言われ、病院を後にした。

内心、「大丈夫?いやいや、大丈夫」と自分で言い聞かせながら、自宅に戻ると、夫も心配して仕事先から連絡をくれた。

とにかく自宅で安静にしなければと、寝て過ごす日々を繰り返した。

病院でも言われていたが、夫からも「安静にして、何もするな」と言われたため、寝たまま生活を過ごした。

流産の苦しみ

私の通う病院は、地域でも大きな病院の1つで、担当の先生はいるものの、手術などの急患が入ると、担当ではない別の先生が診察を行う。

不本意ではあるものの、それも仕方のないこと。

病院へ行くと、いつもの先生は不在で、若い男性の先生が診察をしてくれた。

「成長していないかもしれない、もう少し待ってみよう。」

そう言ってくれたいつもの先生とは反対に、若い男性の医師は、
すぐに「流産です」と決定した。

確かに、あれから日数は経過しているから、確定できた案件だったかもしれない。

けれど、初めての妊娠を楽しみにしていた私にとって、シンプルなその言葉は、心にずっしりと響いた。

すぐに、「処置をします」との言葉とともに、内診台の上に乗ることになった。

私の目からは、涙がポロポロとこぼれ、すぐに看護婦さんと別の部屋へ行くことになった。

初めての妊娠では、大きく成長しないことはよくあることで、それは、お母さんのせいでも、何でもないと言うこと、連絡のつく家族に迎えに来てもらうことなど、優しく話してくれた。

気が動転し、わからないまま夫の会社へと連絡し、病院へと迎えにきてもらった。

内診台での診察後、私の場合、流産後の処置をしなくても、問題はないとのことだったが、

「トイレに行って出たものを持ってくるように」

と、話をされた。

その後、迎えにきてくれた夫とともに、自宅へと戻り、一通りの話を済ませると、夫は「とにかく安静に寝て、体調を戻そう」と話してくれた。

「無理はするな」寝たきりの私に、言葉少ないながらも、励まし続けてくれた。

泣きじゃくる私をギュッと抱きしめて、「休んで元気になろう」と話してくれた。

先生の言った「トイレで出たもの」の意味が理解できない私だったが、次の日、トイレで大きな血の塊が出てきた。

見たこともないような大きな塊で、まさに先生の言ったことがこれかとすぐにわかった。

あまりのことに動揺し、「持ってきて」と言われていたものの、思わず、トイレで流してしまった。

すぐに病院へ連絡すると、また、若い先生の診察があり、「お腹の中がきれいに空っぽになった」と言われた。

「きれいに空っぽ」と言葉が私の心に響き、お腹だけでなく、頭の中も、心の中も空っぽになった。

流産した自分のそばにいてくれた夫

それから、私の頭の中には、赤ちゃんのことで毎日がいっぱいだった。

街で、小さな子供を見たり、声を聞いたりすると、頭の中がおかしくなりそうなほど、苦しくなり、息ができないぐらいの気持ちでいっぱいになった。

モヤモヤした行き場のない苛立ちや悲しみ、
気がつけば「赤ちゃん、赤ちゃん」と頭の中がグルグルと回っていた。

他人が自分よりも、ずっと幸せそうに見え、ニュースで小さな子供の虐待のことなど、取り上げられている時も、「この人は産めたのに、私は産めない」とそんなことばかりを考えていた。

「あの人は、幸せでいい、羨ましい。」

そんな話ばかりの私に、夫は、「うん、うん」と頷くばかりだった。

真面目でぶっきらぼうな夫だったけれど、ずっとそばにいて、私の話の聞き役になってくれた。

そんな日々が続いている間、夫は、私をよく外へ遊びに連れて行ってくれた。

気を紛らわせたいと思っていたのだろうが、近場へ1泊と温泉に出かけたり、ドライブに行ったりと、楽しく過ごした。

ただ、子供の話題にだけはならなかった。

私の気持ちも少しずつ落ち着くと、1年後、再び、妊娠した。

再び妊娠し、その後。現在の私

やはり敏感な私は、妊娠が判明したのは、初期の6週目に入った所だった。

周りからは、妊娠は病気ではないと言われるが、私たちには安静しかない。

初めての妊娠があったからか、私も夫もとても慎重になった。

しかし、そのおかげか、無事に出産を迎えた。

途中、体調がすぐれないことも多く、高血圧になり、切迫早産で入院することになった。

妊娠後期になって、お腹の中の赤ちゃんと2カ月を入院して過ごした。

しかし、帝王切開でやっと生まれた子供は、元気な男の子で、私の心も晴れていった。

子供が生まれたことも大きかったが、夫の励ましも大きかった。

いつも、そばにいてくれ、「好き」「愛してる」と言ってくれた夫は、真面目だが、私には、甘い言葉で癒してくれる珍しい人だった。

流産の苦しみを乗り越えて

流産の苦しみを乗り越え、今伝えたいことは、自分の気持ちを隠さず、話すことだ。

夫に言わせると、「好き」と何度も言ってくれたのは、私が悲しそうに見えたからと言っていた。

最初に会った時から、どこか寂し気に見えたそうだ。

「守ってやらないと」と思ったらしい。

運命の人に出会って、悲しい思いはあったけれど、今は新しい命に出会った私。

この人に会って良かった、そんな気持ちでいっぱいです。

流産を乗り越えるのは、とてもつらい自分と向き合うこと。

ぐちぐちと私のように文句を言ってもいい、正直に、気持ちをどんどん出してほしい、
それで、自分を乗り越えられると思う。