恋愛・失恋

急死した元彼の恋人、葬祭ディレクターとして担当した結末。元彼と○○になったお話

急死した元彼の恋人、葬祭ディレクターとして担当した結末。元彼と○○になったお話

著者:菊川 蘭花(仮名)

蒲田駅までの道のりはたったの5分。

忙しくて開く間も無かった携帯電話に目をやると、メールが一件。
母親からだった。栃木から東京に出てから気付けば10年経つ。

娘を心配するメールの最後が必ず「いい人はできた?」であることは、見なくても分かった。

「交際はまだか」

「結婚はまだか」

「子供はまだか」

そもそも交際ができていないのだから、子供なんてできるわけがない。
順序を間違えれば、あり得なくはないが。

どこかしらで毎日この質問を受けている気がして、うんざりしてしまう。

自分だって、全く考えていないわけじゃない。

けれど、順序を変えて急ぐ必要もないし、かけがえのない自分の人生を大切にしたい。まだ焦る時期ではない。

…そう思っていると、
あっという間にまた10年経っていそうな気がするのが恐ろしいのだが。

 

葬祭ディレクターとして

新卒でこの間入社したと思っていたら、気付けば33歳。
最初は慣れないヒールを穿いて歩くことすら辛かったのに、今はなんということはない。

私は、葬祭ディレクターとして、人と人との別れの時を手伝っている。
人の死、人生の終着点に触れていると死ぬことの寂しさより、いかに生き、人生を彩るかを考えさせられる。

誰と寄り添い、子供を産み育て、愛し愛され、笑って逝く。
見送る者の涙の量が、故人との思い出と愛した分であるとするならば、私が死ぬ時その量が多い方がいいと願ってしまう。

愛する人に、悲しい思いはさせたくないけれど。
結婚するということは、毎日私が触れる〝この瞬間〟に、私の為に誰かが泣いてくれるということだ。

あるいは私が誰かの為に泣いているのだろうか。

いずれにせよ、思い切り泣きたいし、泣いてほしい。

沢山の思い出と愛に溢れた人生でありたい。
そのために、寄り添う人は慎重に選ばなければならない。

私には今、恋人はいなかった。

くりかえす日常

「いい職ありましたァ?」

「事務ならいけるかなぁと思いますけどねぇ~。あ、ここお給料いいですよ」

「ホント?でも旦那が許してくれるの?」

「それはあれですよ、早く死んでくれれば。そしたら火葬式だけして~」

「勿論それはうちの会社に依頼してくれるんですよね?」

「ええ?高いから嫌ですゥ~。マジでうちの会社どうにかした方がいいですよ。ぼったくりですよこんなの」

「それは社長とバカ店長に言ってください経理さん。私は従うことしかできませ~ん」

「はあ、ホント馬鹿ですよねぇ、この会社」

 

職場の先輩達は、昨日と同じ会話を繰り返す。
この会話はきっと、どれかが叶うまで永久に続くのだろう。40代女性の転職、夫の死、会社の改善、どれもなかなかに難しい望みだ。

美味しそうと思ってせっかく買って来た肉野菜炒め弁当なのに、なかなか口に入らない。
小さく切ってちびちびと口に運んでいると、横から視線を感じた。

後頭部がやや寂しい、年上の男性社員が口元をにやけさせながら私を見ていた。

「美味しそうだね。今日はどこで買ってきたの?」

「ほっともっとですよ」

「ふーん。昨日はパンだったけど」

「ご飯の気分だったんです」

 

答えると、そっかーと彼は関心をなくしたように愛妻弁当を食べ始める。
会話が終了したことに内心ホッとして食事を再開すると、また視線が刺さった。

見なくとも分かる。これも毎日のことだ。
食事を他人に、特に男性に見られるのはあまり好きではない。

ちょうど携帯に電話がかかってきて、私は立ち上がり事務所から出た。
きっと、扉を閉めれば年下の上司である私の話題で先輩達は盛り上げるのだろう。
事務所から出ていった人のことを話題にするのはお決まりだ。仕方のないことだ。

電話。元彼から

改めて電話の相手を確認して少し驚く。
この携帯に掛けてくるのは、1年ぶりくらいだろうか。いや、もっと前だったかもしれない。

 

「どうしたの?」

「ごめん、確認したいことがあって。発注では青多めの洋花ってあったけど、アクセントで暖色入れたいんだ。いい?」

 

無意識に高まっていた期待をぐっと胸に押し込む。

 

「問題ないと思う。全体のバランス見てね。あと、私の方が年上だし、上司なんだからね」

「歳は一つしか変わらないだろ。蘭ちゃん真面目すぎ~」

 

電話越しの声が笑う。

 

「宗徳君は緩すぎ。そういえば、どう?最近。……彼女とは」

 

そう尋ねると、彼は「まあね」と軽く答えた。

フラワーコーディネーターの庭前宗徳は、私と同じ時期にこの会社に入社した。
当時から親しい間柄で、自然と交際が始まった。

…ほどよい関係も、20代の頃までの話。

私は係長になり、彼は彼で多くの斎場を一人で回るようになり、お互いに忙しくなった。
自然とフェードアウトしていくのは仕方なかった。
仕事ではよく顔を合わせるが、恋人だった頃はこうして携帯で話をしていた。

事務所に戻ると何事もなかったかのように社員は昼食を取っている。
きっと、先程まで私の話をしていたんだろう。席に戻ると、向いの先輩が声をかけてきた。

 

「菊川ちゃん、庭前くんとはどうなの?」

 

電話を聞かれていたのだろうかと一瞬ドキリとする。
苦笑して「何もないですよ」と事実を述べれば、「お坊さんと結婚すれば?お金はあるよ」と隣からの声。

 

「そうだよ、菊川係長。式で出会った若くてお金ありそうなお坊さんと結婚すれば?」

「わあ、将来安泰ですね~!」

「今のところ、そういう方には出会っていませんね。残念です」

 

そう返し、弁当の残りを口に無理矢理詰め込んでいると、勝手に周りが盛り上がっていく。

 

「あれ?もしかして理想高いのかな?」

「それじゃあいつまで経っても結婚できないよ~」

「この前来てた浄土真宗のお寺の、息子さんかな?あの人結構かっこよくなかったですかァ~?」

 

この会話はおそらく、私が結婚するまで続くのだろう。
消化しきれない弁当の半分は、仕事が終わってから食べることにした。
午後は、お客様との事前打ち合わせの予定だ。

 

「あ、そういえば知ってます?八王子ホールの百合ちゃん、電話占いで恋愛相談乗ってもらって、来月再婚することになったんですって」

そんな話題を背に、私は事務所を出た。

 

焦りは、復縁したいに

私は、宗徳と復縁したいという気持ちが日々募っていた。
その要因は、周囲から投げかけられる「結婚」という言葉による焦りなのだろうか。
それとも、彼のことが本当に好きだからなのか。

どちらもだと思う。

別れて尚、彼に新しい恋人ができても、それでも好きだと自覚したのが5月。
同僚から、宗徳に彼女ができたという話を聞いた時だった。

彼の隣に知らない女性がいるという事実に実感が湧かなくて、想像ができなくて、不思議な感覚だった。
その夜は一睡もできず、充血した目で帰りの電車に揺られている時にやっと気付いた。

私は彼の隣にいたかったのだということ、いつか戻りたいと心の中では思っていたということを。

 

だが、時すでに遅し、だ。

 

忘れなければならないと思っても、職場で優しく笑いかけられ、今日のように電話されて、期待しては落ち込んでいる。
もう過去の女で、友人でしかないのに。
一人期待をしている私がいた。

携帯電話を眺める。
彼からの着信はない。あるわけがないのに。

何を探すでもなく、ぼうっとネットサーフィンをしていると、ふと電話占いのリンクを目にした。

占い。そういえば、職場でそんな話題が出ていたか。

 

占い師

レビューを見ると結婚や復縁について相談したという内容がちらちらと目に入って、スワイプする指を止めた。
だからといって信じているわけではないが。

それに、胡散臭い占い師が、オーラが見えるとか言ってトンチンカンなことを言ってきたらどうしよう?なんて思いもしたが、一度他人に聞いてもらうのもいいかなと思った。

初回は無料。嫌になったらもう利用しなければいいだけだ。

答えなんて分かりきっているから、話を聞いてもらうだけでいいのだ。

 

呼び出し音が鳴っている間、少し後悔した。

やっぱり怖い。否定されてしまったらどうしよう。
いや、信じてなんていないのだから、構わない。でも、どうしよう。

 

「はい。お電話有難う御座います。Rと申します。こんばんは」

 

電話越しの落ち着いた、しかしハキハキと明るい声。
意外にも、魔法みたいに私の緊張の糸を解いていった。

 

「あの、お話したいことがあって」

「はい。僕で宜しければ、何でも聞きますよ」

 

そういえば、今まで誰にもこのことを話したことはなかった。初めて話す人にこんな思いを伝えるのはおかしい気がした。

彼と復縁したいこと、しかしそれは叶わないこと、

周囲から結婚をせがまれ焦りを感じていること、

職場のこと、

沢山のことを伝えた。

話し出したら止まらなくて、堰き止めていた感情の波があふれ出す。
神父に懺悔を聞いてもらっているかのような気持ちだった。

R先生は、私の話を聞き終えると、初めて相槌以外の言葉を紡いだ。

 

「つまり蘭花さん、貴女は人生の最期まで誰かの心に寄り添い、愛し合い、素敵な人生だったと思えるように生きたいと思っているんですね」

 

「その為には、この恋を諦めて新たな恋を探してください。」
そう続くのだろうと思っていた私の耳に入ったのは、違う言葉だった。

 

「素敵です」

 

何故褒められているのか分からなくて「え?」と思わず聞き返してしまった。

 

「荒れ狂う波間に浮かぶ小舟のような貴女は、もう目的地を見つけています。

そこまで転覆せずに向かうことができます。大丈夫、自分を責めなくていいんですよ。

ここまでよく頑張りましたね。貴女はとても慎重で誠実な人だ。
そうでなければ、そんなに苦しんではいませんよ。

まずはご自身を肯定してあげてください」

 

抱いてはいけない思いを抱いてしまった自分を、彼は肯定してくれた。それだけで十分だった。

 

「有難う御座います」

「そんな貴女が嵐の中でも向かおうとしている目的地は、正しい航路です。僕にはそう感じました」

「でも、彼にはもう新しい彼女がいますよ。うまくやってるみたいですし、その中を裂くようなことはできません」

「ええ、それは勿論です。しかし、貴女が今も彼を好きであり、彼と共に歩みたいと考えていることには意味があります。彼と貴女には強い縁を感じます」

「そうなんでしょうか?いや、結婚しろって言われて焦っているから好きだと思いこもうとしているのかも」

「いいえ。まずは自分の気持ちを肯定してください」

 

少し強く言われ、私は少しだけ強張る。気持ちを認めると、諦めるのが苦しくなる気がして、誤魔化しているのかもしれない。だから、あまり肯定したくはなかった。

R先生は少しだけ沈黙した。私も、考えていたから黙っていた。暫しの沈黙を破ったのは、R先生だった。

 

「いずれ、望む結果になります。そしてその時、貴女のその気持ちは本物であると自覚できます。貴女は、愛する人の為に泣ける人ですものね」

 

それがどういう意味かは分からなかったが、最初で最後になるだろう電話占いは終了した。

R先生の言っていた内容を受け止めきれない私だったが、気持ちは幾分楽になっていた。

そして、〝望む結果になる〟がどのようなものなのか、少しだけ気になった。

〝望む結果になる〟

それから二週間後、それは起こった。初めて理解した時、頭を煉瓦で殴られたような気持ちになって、一瞬何も考えられなくなった。

私の担当することになったお客様は、私と同い年の娘を亡くしたご家族だった。

故人は最近付き合い始めた恋人がいたらしく、その写真を式場に飾ってくれないかと遺族に何枚か写真を手渡された。

そこで私は久しぶりに、お客様の前で涙を流してしまったのだ。

 

見知らぬ女性の隣で笑う彼は、庭前宗徳だった。

 

式は滞りなく行われた。
参列者の中には、喪服の彼がいた。

いつもは私と同じこちら側で花のチェックをしている姿ばかり見ていたのに、今は椅子に座って祭壇を見つめていた。
その後姿を見るだけで、苦しくて仕方がない。

「こんなことが本当にあるの」

若い人が亡くなった時、こういった言葉をよく聞いていた。
不幸は突然訪れる。

分かっていても、いざ自分に降り注ぐ土砂降りの雨は、傘をさすことも忘れてしまう物なのだ。

彼の隣には、誰がいるのだろう。誰もいない。一体、誰が要るのだろう。

私が式中、彼と話すことはなかった。

 

一週間後。元彼から…

あれから一週間が経ち、宗徳が花を持って蒲田ホールにやってきた。
私が担当する次のお客様の祭壇に飾る花だ。
事務所に顔を出し、すぐに式場へ向かう彼に対し、周囲の人が勝手なことを言い出した。

私は立ち上がり、さも打ち合わせをするかのようにファイルを手に彼の後を追った。

彼は、まだ何の飾りも施されていない、裸の祭壇を見つめていた。私はその背中を見て、涙が零れ落ちた。

 

「何で蘭ちゃんが泣くの」

 

振り返った彼は、涙こそ流れてはいなかったが、今にも泣き出しそうな顔をしていた。目が潤んでいる。

そして、絞り出すように私に言った。

 

「ありがとう」

 

彼女の式を担当してくれて、という意味だろうか。
それとも、彼の為に泣いていることに対してだろうか。あるいは両方かもしれない。

 

「宗徳君。私、今も好きだよ」

 

彼の隣に立ち、何もない祭壇を向く。

 

「こんな時に言うのズルいよね。ごめんね」

 

彼も祭壇を向き、右手で自身の額を押さえた。

 

「優しすぎない?蘭ちゃん」

 

その声は震えていた。

 

「俺はただ悲しくて寂しくて、蘭ちゃんと寄りを戻そうとしているのかもしれない。
死んだ彼女にも、蘭ちゃんにも、悪くない?最低だよ俺」

 

どうやら占い師のR先生の言葉は、私だけに当てはまるわけではなかったようだ。
私は、心の底から彼を愛しいと思った。

 

「そう言って泣く人は、いい人だよ」

 

彼は「そうかなぁ」と笑った。

 

「ねえ、私達もう一度やり直してみない?今度は、なんとなくじゃなくて、どうしていきたいか、どうなりたいか、ちゃんと話し合おうよ」

 

二人で祭壇へ歩み出す。さあ、仕事をしよう。

今日も誰かがその命を終え、棺で眠りにつく。誰もが等しくこの道を通るのであれば、私はこの人と……。

その後R先生には、結婚が決まったことを伝えるお礼の電話をした。彼は私のことを覚えてくれていて、最後にこんな言葉をくれた。

 

「縁があれば、何度でも絆は結び直せるんです。きっとこれからも辛いことや新たな苦しみが生まれるでしょうが、あなた達なら大丈夫です。結び直した糸は硬く結ばれていますよ」