育児

障害児(口唇口蓋裂)が生まれて…大切なのはまず自分自身だとわかった話

ふーこさん(女性・30代後半)

私は、大学を卒業してからずっと介護職をしていました。

たくさんの資格を取り、経験も積みました。

介護職を選んだ一番の理由は、生涯働いていたかったからです。

子供時代かなり貧乏だった私は、たとえ結婚しようが子供ができようが、働き続けたかったのです。

25歳で結婚し、早く子供がほしかったのですがなかなか妊娠せず、ようやく身ごもったのが27歳のとき。

妊娠中から、託児所のある仕事を探し、子供を産んでしばらくしたら働くんだと決めていました。

子供時代極貧だったことと、夫がギャンブル好きでお金に苦労していたからです。

そう、私はその時、「子供は五体満足で生まれてきて健やかに育つもの」と思い込んでいたのです。

生まれてきた子供は障害児でした。だったのです。

しかも重度でした。

手帳が必要な障害ではありませんでしたが、かなりな頻度の通院と治療、手術が必要であることを、子供を産んだその日に告げられました。

人生ではじめて深く絶望したと思います。

そんな私ですが、今はあの日の私に「大丈夫、何とかなるよ」と声をかけてあげたいくらい、いろいろなことを乗り越えたと思います。

そのお話を記します。

出産直後 子供の障害“口唇口蓋裂”がわかった

今は画像が発達し、妊娠中に発覚することも多い口唇口蓋裂。

私は息子が生まれるまでわかりませんでした。

朝方出産したのですが、大きな産声を上げた息子は、「ちょっとごめんね」だけ言われて、顔を見ることなく連れて行かれました。

その後私は出産の疲れから熟睡。

その間夫は医師から障害のことを告げられ、私より先に子供と対面、インパクトのあるその姿に絶句し、どう妻に伝えたものか悩んだそうです。

しかもその間、出産を待ちわび到着していた私の両親は、あまりのショックから、娘の顔も孫の顔も見ずに帰ってしまいました。

夫はずいぶん止めたようですが…。

一人残された夫は、目が覚めた私に医師や看護師数人とともに、子供が障害児であると告げました。

一瞬、何を言っているかわからなかったです。

現実味がなく、その時点ではたいしたショックもありませんでした。

子供の顔を見に行ったときも、周りが拍子抜けするくらい平然としていました。

たしかに変わった顔をしていましたが、なんといってもお腹を痛めて産んだかわいいわが子です。

ことの重大性がわかったのは、その夜に今後通うことになる大学病院から、口蓋裂チームの医師が来て説明してくれたときでした。

もう働けない? 子供の治療に私の人生をささげることになるのかも

息子は、完全両側性顎口蓋裂という、500人に一人生まれる口唇裂口蓋裂のなかで、もっとも重いタイプでした。

しかも、そのなかでもおそらく重度の部類に入るというのです。

基本的には命に別状はありません、まだ合併症が出てくるかはわかりませんが、直接母乳を飲むことと、中耳炎になりやすく難聴になりやすいことを除けば、普通の子と同じような生活ができることが多いです。

ただし、治療は長期にわたります。

まず、退院してすぐからは一週間ないしは二週間に一回、車で二時間かかる大学病院に通院します。

生後三ヶ月で一回目の手術を、その後一歳と一歳半、五歳と九歳、最後は十八歳で最終の手術をしますが、小学校に上がるまでは母親の付き添いが必須です。

その間、言語訓練や矯正、発達の検査のために通院します。

そしておそらくこの子は、この予定した回数以上の手術が必要だと思います。

そういわれました。

もう絶句でした。

手術をちゃちゃっとすれば治る、そう楽観視していた私は、頭をハンマーで殴られたようなショックを受けました。

子供のことはもちろんかわいそうです。

でもそれ以上に、私のこの先の人生は、この子の通院と治療で終わるのではないか。

キャリアを積んでバリバリ働きたかったのに、もうそんなことできないのではないか。

なにより、二人目三人目を作ることはできるのか。

今思えば自分のことばかりで恥ずかしいですが、そんなことがとっさに頭をよぎり、絶望的になったことを覚えています。

子供の治療と自分の仕事 どちらも諦めないと決めた

そして私が先に、その後息子が退院してきての生活が始まりました。

はっきり言って大変でした。

一人目の子供でただでさえ余裕がない上に、夫は全く非協力的。

一回目の手術までは母乳で育てるように言われ、直接飲めない子供のために搾乳し、そのつど温めて飲ませるのです。

さらには口の中に入れる装置のために毎週通院します。

しかし、大変ではありますが、なんと言ってもわが子はかわいいものです。

一回目の手術まではなかなかパンチの効いた顔をしていましたが、気にせず外出していました。

そしてそんな私を見て、はじめは孫の障害を受け入れられなかった両親が、足しげく通って育児を手伝ってくれます。

近くに住む親戚も協力的でした。

そんななかで何とか一回目の手術が終わり、育児にも余裕が出てきたとき、やっぱり働きたいなと思うようになったのです。

もともと私は仕事が好きでした。

子供のために何かを諦めたら、いつか子供を恨むのではないか。

だったら、大変だけど周りのサポートを受けながら働こう、そう決めたのです。

資格はありますので、仕事はすぐに決まりました。

子供の通院や手術に理解のあるデイサービスで、生後6ヶ月のときからパートとして働き出しました。

非常に身体の弱い子でしたので、はじめの一年で10回以上入院しました。

気を使うことも多く忙しい毎日でしたが、何とか両立していました。

何かを諦めるときに子供のせいにしてはいけない 二人目について

とはいえいつ入院するかもわからず、通院も行かなければならない状態です。

いつしか、二人目は付き添い入院の必要なくなる小学生に上がってから考えようとなっていました。

それよりも、そもそも二人目を作ることはできるのか。

口唇口蓋裂は、遺伝性があるとされています。

兄弟や親子で、という方も少なくありません。

なんとかなるとは思いながら、二人目は息子が落ち着いてから、と公言していたある日。

職場ですごく尊敬している先輩に、「そんな大切なこと息子君のせいにしてはいけない。子供には兄弟が必要よ」と言われたのです。

その先輩は、シングルマザーで一人っ子のお母さんです。

そのせりふを聞いたとき、本当に雷が落ちたようなショックを受けました。

たしかに私は、息子のせいにしてはいけないと仕事を始めたのに、二人目ほしいけど無理、なんて言ってしまっていました。

かわいそうなのは息子ですよね。

二人目も生まれて その後

妊活をはじめ、なかなかできなかったですが、息子が4歳のときに娘が生まれました。

本当に産んでよかったと思います。

娘が口唇口蓋裂でも気にしない、そう思っていましたが、五体満足で産まれてきたとき、「普通の子だ!」と号泣してしまいました。

息子のその後の手術の際には、何も問題なく祖父母の家で預かってもらいました。

息子が生まれて12年、やはり治療は難航し、予定をはるかに超える回数の手術と頻度の高い通院をしていますが、折り返し地点は過ぎました。

そして私はスキルアップし、夢だったケアマネージャーの仕事をしています。

障害のある、病気を持つ子供を産んだあなたに

私の息子の場合は口唇口蓋裂ではありますが、一応日常生活は問題なく生活できています。

息子の性格が明るいこともあり、顔はいびつでいじめられたこともなくはないですが、臆することなく成長してくれました。

そして私も、たくさんの通院や治療、手術に対応しながらも、基本的にはフルタイムで働き続け、スキルアップもしています。

基本的には高齢者介護の仕事をしてきましたが、息子が生まれて思うこともあり、障害児のお仕事についたこともあります。

重度の障害児から一見問題なさそうな発達障害の子供まで、たくさんの子供とともに、親御さんとも関わってきました。

ほとんどの親御さんが、明るくお子さんを受け止めています。

独特の「この子は私が守らないと」「この子のことは私が一番わかっているから」というオーラは皆さんお持ちですが、それは必要な感情だと思うのです。

うちのように、出生の段階で一目瞭然の障害を持っていることもつらいですが、もっとつらいのは、「何かおかしい、でも普通だと思いたい」という状況で障害が判定された場合ではないでしょうか。

実際うちの息子も、熱性痙攣をこじらせててんかんになってしまったのですが、そのときのほうがショックは大きかったです。

でも、繰り返しますが、ほとんどの親御さんは様々な感情を乗り越えて、子供を受け止めて生活されています。

このご時世、昔はなかったような障害が医学の発達とともに現れ、それが良いかどうかは別として、昔と比べ物にならないくらい治療や療育の環境は整っています。

悩んだときに相談できる場所も増えました。

大切なことは、お母さんが自分を犠牲にせず、自分を一番に、そして次に子供を大切にすることだと思います。

そして、つらいときには無理せずSOSを出してください。

人生何とかなりますから。