
母の介護と占い師が運んだ出逢い。
〇〇を優先したら親友の彼氏と結ばれた話
著者:町田智美(仮名)
突然、言い渡されたこと。
「あ、ねぇ、町田さん。
いっそさぁ~…一回会社辞めて、親の看護に専念したら?
やっぱり会社と看護の両立って難しいと思うし。
お母さんの腕って、完治までにあと3ヶ月ぐらいかかるんでしょ?
治ったらまた、派遣社員で戻ってくればいいしさ!」
これが私の人生を閉ざした、トドメの言葉だった。
私はどこにでも居る普通の事務員だった。
特別有能って訳でも無いし、特別なスキルがある訳でも無い。
極当たり前に仕事をこなし、誰でも出来る仕事だと上司に揶揄されながらも、自分なりに頑張ってきた。
スキルが無いなりに、私だから出来る仕事をしようと頑張ってきたけど、結局私に渡されたのは解雇通知のような上司の言葉。
ああ、私終わったんだな。と、思った。
このまま頑張って会社にかじりついて、私に何が残るんだろう。
いくら考えても、私の頭では最後は「母の完治前に退職」という結果しか思い付かなかった。ので、すっぱり会社を辞めることにした。
母の介護と、望まない再会
「この時間でもスーツ着てる人って多いのねぇ~…」
向かいの席に座るスーツ姿の外回り中らしい女性の方を眺めながら、母が呟く。
私との話題に事欠いたから、とか、電車に乗ることは滅多に無かった母だから、とか。
いろいろと理由は思い浮かんだが、今の私には聞きたくも無い話題だった。
「そうだねー」
気のない返事を返しつつ、私の視線は隣のリクルートスーツの女性に向いてしまう。
後数ヶ月ぐらいして母の世話が楽になったら、私も彼女達と同じように就活をしないといけなくなる。
今まで転職の2文字も再就職の3文字も自分には関係無い世界の言葉と思い込もうとしていたが、まさか関わる日が来るなんて。
自分で決めた結果なのに、不安で眠れなくなるぐらいには私には堪えた。
「あら、あの人達も智美と同じでお仕事お休みなのかしら」
母の一言で、車内が静かになった。
…いや、私が今の母の言葉に特別引っ掛かっただけで、元から車内は静かだったかもしれないけど。
「お母さん、もうちょっと静かにしといてよ」
居たたまれない気持ちになって、私の隣に座る母に耳打ちする。
この多様化した社会であっても、仕事が休みかどうかの話題はしてはいけない気がする。
もし私みたいに失職中の人だったら、私の母のような不用意な発言は不愉快だろう。
「智美は何でも気にしすぎなんだよ」と、学生時代に私に言った親友が思い出される。
今の私を彼女が見ても、また「気にしすぎ」と言うのだろうか。
「…智美?」
現実逃避のように過去にトリップする私の名前を、誰かが呼んだ。
「…え?」
思わず顔を上げる私を上から覗き込む、可愛らしい服を着た女性。
「やっぱり智美だ~!久し振り~!!」
私の目の前に立ってにっこり笑う顔に、少し懐かしくなる。
今、一番顔を見たくて、今一番会いたくなかった女性。
たった今思い浮かべていた高校時代の親友、深山聡子(仮名)は昔と変わらない笑顔で私に微笑んでくれていた。
「あら、さっちゃんだったの~!
大きくなったわね~!!」
私が返事をするより早く、母が聡子に話し掛けた。
「お久し振りです、おばさん。
こんなとこで会えるなんて思って無かったですよ~。
あの、腕どうしたんですか?
痛そう…」
「ああ、ちょっと階段から落ちちゃってね~…。
でも、智美も会社を休んで看護してくれてるし、もうすぐ治るから平気よ~!」
「えっ、智美すごい~!
そこまでの親孝行って、なかなか出来ないよ~!!」
聡子の言葉がチクリと胸に刺さる。
私だってしたくてしているわけじゃない。
だって、誰も代わってくれる人が居なかったから。
口から出掛かった言葉を飲み込んで、愛想笑いを返す。
聡子は何かを感じてくれたのか、困ったようにちょっとだけ眉をしかめただけだった。
「そうだ、智美!
私ちょっと前にこっちに帰ってきて、再就職したんだけど、LINE教えてなかったよね?
また一緒に遊ぼうよ~!!」
「うん。あ…でも、お母さんの腕が治ってからでいい?
利き腕折れちゃってるから、やっぱりお母さん1人にしてると私が不安なんだよね…」
「ん~…わかった!
じゃあおばさんの腕が治ったら遊ぼうね!
あ!私次で降りないとだから…。
ねぇ、智美達は今日どこまで行くの?」
「私達は、もう少し先で降りるんだ~。
お母さんのリハビリがあるから。
聡子はデート?」
「そんな感じかな。
それじゃあ、智美、後で連絡するね。おばさんも、また今度~」
LINEだけ交換して天神駅で慌ただしく電車を降りていった聡子は、昔のままだった。
いつも明るくて、要領が良くて、人の輪の中に居て。
私には無い物を沢山持っている聡子が羨ましくもあり、人気者の聡子の唯一の親友であることが私の自慢でもあった。
それでも、学生の頃は性格ぐらいしか違うところが無かったぐらい、聡子と私に差は無かったはずなのに。
歳を取るというのは本当に怖いことだと思う。
自分で決めたとは言え、親友は可愛らしい格好でデート。
私は介護が視野に入り始めた歳の母と、病院でリハビリデート。
どこで人生に躓いてしまったんだろうか。
もし私がもっと頭が良くて、いい大学に入れてたら少しは母の介護問題についても余裕を持って居れた?
事務職じゃなくて、他の職に就けていたら?
考えても仕方無いことが、頭の中をぐるぐると巡っては消える。
「お母さんのことはいいから、さっちゃん達と遊びに行ってくればいいのに…。
こっちに帰って来てから一度も誰かと出掛けて無いでしょ?」
憂鬱に取り憑かれだした私に、母が小さく呟く。
「私は、遊ぶためじゃなくて、お母さんのために仕事休んでるんだから。
友達と遊んでたら本末転倒だって」
「そうかもしれないけど…」
母にも私の憂鬱が移ってしまいそうで、新しい話題を求めて電車内を見回す。
車内には沢山の広告があって、話題には困らなそうに見えた。
電光掲示板の上の霊園の広告に、大学の広告。新しく出来たマンションの中吊り広告。
「あ。お母さん見て見て。
今度ビブレでセールだって。一緒に行ってみようよ」
「お母さんには天神はちょっと若すぎるわよ…。
あ、智美!見て見て!中吊り。占い師ですって。
最近人気よね~江古田さんのとこの娘さんもよく頼ってるんですって」
母の言葉に言われて、それらしい中吊り広告を探す。
見つけた週刊誌の広告には、見やすい太字で占い師の助言に従って決定したとかなんとか、珍しい煽り文句の1文が書かれていた。
「最近意外と流行ってるよね。占い。
私の居た会社の子もよく占いに頼ってるって言ってたよ」
「智美も占いに頼ってみたら?
ほら、恋愛とか。
お母さんのために実家にずっと帰ってられるなんて、彼氏居ないんでしょ?」
ザクリと母の言葉が胸に刺さる。
身内というのはどうしてこうも勘がいいのか。
「そ、そうだね~…あ、そろそろ乗り換えだから、降りないと」
タイミング良く駅に着いた電車の運転手にお礼を言いたい気持ちになった。
母が立ち上がるのを手伝って、電車を降りる。
賑やかな天神駅とは違って少し寂れた雰囲気の駅は、聡子と私の違いを見せつけて来ているように思えた。
占い師
いつものように母のリハビリが終わるのを待って、買い出しを済ませて実家に戻る。
早めに夕飯の下拵えを済ませて自室に戻った今日の私は、きっと見た目は何も変わってはいない。
それでも、今の私は今朝とは何かが違う気がした。
と言うか、これを機に何かが変わってくれないのなら、私はこれからどうしたらいいかわからない。
行きの電車の中で母に言われた、「智美も占いに頼ってみたら」の言葉が頭の中から離れなかった。
「い、いいんだよね?私が頼ってみても…」
自分以外誰も居ない部屋で呟く。
肯定してくれる人は当然居なかったが、スマホに表示された占い師の先生の穏やかな笑顔は私の決意を肯定してくれている気がした。
「電話ってハードル高いけど…会いに行くよりは、怖くないよね…?」
母のリハビリの待ち時間に評判や感想を吟味して決めた、占い師の天音先生。
1分300円だから、無料通話分では10分しか話すことが出来ない。
指南サイトに従って、聞きたいことをまとめて「待機中」になるのを待つ。
鑑定の予約を入れてから自分の番が来るまでの数十分は、とても長く感じた。
数時間ぐらいに感じた待ち時間が終わって、やっと私の番がやって来る。
掛けた電話を取ってくれた先生は、写真の印象通りの穏やかな声をしていた。
「こんばんわ、天音です。本日は宜しくお願いします」
「は、初めまして。お願いします」
思わず電話の前で頭を下げる。
会ったことも無い人と電話するなんて初めてで、変な気分だった。
「はい、宜しくお願いします。本日はどういったご相談ですか?」
「えぇと、恋愛について占ってほしいんですけど…」
「恋愛面ですね。それでは、カードを引いてみますね~」
あれこれ聞かれることも無く、電話先からカードを切る音が聞こえる。
先生によってやり方はそれぞれとは書いてあったが、意外とビジネスライクな態度にびっくりした。
こんな何も聞かないで本当に結果が出るの?
「えぇと、ちょっと出会いは無いみたいですね~…
あまり人の多いところには行かれ無いんですか?」
「あ、はい。母の看護があって…」
「それは大変ですね。
ん~…このまま普段通りの行動をされていると、ちょっと出会いは無さそうですね…」
「そうですか…。
あの、どうやったら変えられるとか、分かりますか?」
「そうですね~…あ、お名前いただいていいですか?」
「あっ、すみません。名乗って無くて…!
と、「ともみ」です」
慌てて名乗る私に、電話先の天音先生は笑うことも無くカードを引く。
「ともみ様ですね。
ん~…、ともみ様の場合は、お友達の紹介で男性と知り合えるご縁があるみたいです。
同窓会とか、昔のお友達と集まる機会があれば、少し無理をしてでも行かれた方がいいですよ!」
「分かりました。頑張ってみます…!」
「はい。
ともみ様はお母様の看護を頑張っていらっしゃるみたいですし、きっといいご縁がありますよ。
頑張ってくださいね。
…それでは、これで鑑定終了で宜しいですか?」
「あ、はい。ありがとう御座いました」
「また何かありましたら、ご相談くださいね。
それでは失礼します」
「はい。それでは…!」
雰囲気に飲まれて、電話を切る。
スマホに表示されていた通話時間は、9分とちょっと。無料内で占いを終わらせてくれたのかと思うと、電話の先の天音先生の気遣いに少し嬉しくなれた。
「もっと、うさんくさいものかと思ったけど…意外と…」
評価画面に感想を書き込んで、未読放置で止めていた聡子のLINEを開く。
『明後日、高校の時の友達数人で集まるんだけど、智美も来ない?』
『夜だし、智美の家の近くだから、ちょっとだけでもおいでよ~』
可愛いスタンプ付きの聡子のLINEに、当たり障りの無いスタンプでOKと返す。
天音先生の言ってた同窓会は、これのことなのかもしれないと思うと、少しだけ期待したくなった。
友達の彼氏
久々の友達との再会は、良くもあり悪くもありの微妙なものだった。
昔からの知り合いが集まれば、まずは近況報告会になるなんて、浮かれ過ぎて失念していた。
ここでもまた「休職中」と嘘をついて、罪悪感にさいなまれる。
その後に言った、親の看護中って言葉もいけなかったのかもしれない。
「このまま帰りたい…」
抜けようと鞄を持ったまま化粧室に来たまではよかったが、会費をまだ払って居なかった。
もう一度皆のところに戻ったら、しばらくは抜け出せなくなる。
このまま払い忘れたフリをして、後日誰かに会費を渡そうかとも考えたけど、なんで帰ったのか聞かれたら困る。
「お母さんのために仕事休んだなんて言わなきゃよかった…」
部外者も数人来ていたとは言え、ほとんど同年代。
アラサーの集まりで親の話は、思ったよりも空気を悪くした。
「戻ったらすぐに会費を払って、タイミングをみて帰ろう…。
無職で皆と居るのは、話題について行けなくて辛すぎる…」
実家に戻ってからずっと母の心配ばかりしていたせいか、気が付かないうちに私は社会から外れてしまっていたらしい。
流行のテレビの話も、最近出来た新しいカフェの話も、全く何もついて行けない。
世捨て人かと笑った同級生男子の言葉に、言い返す言葉も見つけられなかった。
「…戻ろう」
覚悟を決めて、化粧室の扉を開ける。
「あ、よかった。いた」
丁度通り掛かったメンバーに見つかった。
「あ…えぇと、確か…」
「野上です。聡子の連れの」
驚いて名前が抜け落ちてしまった私に、聡子の連れて来た恋人は嫌そうな顔一つせずに微笑んだ。
「すみません。ちょっとびっくりして名前が抜けちゃって…。
あ、野上さんもお手洗いですか?
すみません、邪魔ですよね」
「いやおれは、町田さんをさがしにきただけですから。
聡子が、町田さんが遅いから先に帰っちゃったんじゃないかって心配してて…」
流石に私と長く親友をやっているだけあって、聡子の勘は外さない。
「さ、聡子何か言ってました?
せっかく誘ったのに空気読んでとか…」
「いや、お母さんのトラブルでも無い限りは帰さないでって言ってたぐらいですよ。
おれも町田さんとあまり話して無いんで、まだ帰って欲しくないから探しに来ました。
聡子と仲良いんですよね?
学生時代の話とか聞かせてくださいよ」
にこやかに対応してくれる野上さんは、聡子の彼氏といった感じだった。
背が高くて、物腰も穏やかで、格好いいのに笑うとどことなく可愛らしい。
紳士的な雰囲気だけど、オシャレで、落ち着いた色の茶髪で、でもちょっと軽そうにも見えて。
聡子が居なければ私とは接点が無さそうなタイプ。
聡子の彼氏は、私からすれば王子様みたいな男の人ばかりだ。
「聡子は学生時代の話ってしないんですか?」
「しますよー。
でも、全部町田さんの話ばかりで。
もうすぐ聡子誕生日じゃないですか。
聡子の好きなものとか知りたいのに全然分からなくて…聡子って何好きですかね」
適度に距離を取りつつ私と一緒に歩く野上さんは、羨ましくなるぐらい聡子を好きみたいだった。
「聡子の好みってそんなに難しく無いですよ~。
結構何でも喜ぶんじゃ無いかな?」
「いやいや、折角プレゼントするなら喜ぶ物がいいじゃないですか。
まだ付き合いたてだし…」
「そうなんですか。
聡子の好みって言っても、私は昔のしか分からないですよ?
今の好みは、他の友達の方が知ってると思いますけど…」
当たり障りの無い返事を繰り返していると、野上さんは少し考えごとをしているような顔になった。
「町田さんって、聡子が言ってた通りガード固いですよね。
なんか、いい友達になれそうって言うか…」
「あはは…」
女性として見れないと言われているようで、少しだけショックを受ける。
聡子も直接的な表現が多いけど、今度の聡子の彼氏も似たタイプらしい。
「よかったらおれとも友達になってくださいよ。
さっき皆の前で言ってた親の看護の話とか興味ありますし。ね?
LINE交換しましょうよ」
「え、でも…聡子の彼氏ですよね?」
「えっ、恋人の友達とLINE交換したりしないんですか?」
「し、しないですよ?」
「じゃあ、恋人とケンカした時とかどうするんですか?!
連絡取れなくなった時とか、協力してくれる人居ないと困りません?」
「えっ…」
「なので、おれと友達なってくださいね。
おれと聡子がケンカしたら絶対、町田さんのお世話になりますから」
冗談なのか本気なのか分からない口調で言う野上さんに負けて、LINEを交換する。
久々に交換した異性の連絡先が親友の彼氏のものだなんて、微妙な気分になった。
あり得ない日々
それからの日々は、いつもの私では有り得ないものだった。
母の病院のそばに会社があるらしい野上さんとは、ちょくちょく連絡を取って顔を合わせるようになった。
時間が合った時は母がリハビリをしている間の待ち時間に病院を抜け出して、息抜きと称して野上さんとそばのお店で聡子の話をしながら食事をする。
食事と言っても、母のリハビリが終わるまでの数十分で食べきれるような、ラーメンやファストフードばかりで。
野上さんの格好もデート用というよりは、ふらっと外回りの途中に立ち寄ったようなスーツ姿ばかりだった。
聡子の彼氏と居るというよりは、本当に気のおける友達と過ごしているようで私としてもリラックス出来た。
何より、私が適当な服で来てもからかわず悪くも言わない野上さんは、新鮮だった。
見た目の軽さとは逆に、意外と真面目な性格だというところも、悪くない。
親友の彼氏なのに、気が付くと私は野上さんのことばかり考えるようになっていた。
こんないい人と付き合える聡子が羨ましくて。
でも、親友にそんな気持ちを知られたくなくて、野上さんのLINEとは対照的に聡子のLINEに返事を返すことは少なくなっていった。
オシャレもしないで、一緒にラーメンを食べているだけだから。
母の看護の愚痴を聞いてもらっているだけだから。
聡子と野上さんが上手くいくように助言しているだけだから。
野上さんの下の名前はまだ知らないから。
これが、私の最後の言い訳だった。
終わりが始まり
「智美、長く付き合ってくれてありがとうね。
今日ね、先生にやっとリハビリもうすぐ終わりですって言われたのよ。
これで智美に迷惑掛けなくてよくなりそうよ」
そんな言い訳も、母の言葉でとうとう終わりがやって来た。
長引いた母のリハビリも後数回で終わり。
野上さんと待ち合わせして話す機会も無くなる。
寂しいような、安心したような。曖昧な気持ちのまま、私はまた天音先生の予約を取っていた。
数ヶ月前のようにドキドキしながら順番を待って、天音先生に電話を掛ける。
電話の先から聞こえて来る天音先生の声は、以前と同じ穏やかで落ち着いた。
「あの、以前占いをお願いした「ともみ」なんですけど、また占いをお願いしたくて…」
「あ、お久し振りです。ともみ様。
あの後いい出会いはありましたか?」
「いい出会いと言うか…、気になる人が出来たんですけど、その、親友の彼氏で…。
今日はそのことを聞きたいんですけど、あの、占ってもらえますか…?」
「はい。大丈夫ですよ~。
それでは、カードでお2人の相性から見ていきますね」
以前と同じようにカードを切る音がして、天音先生の占いが始まる。
2回目の電話は以前よりも緊張しなくて済んで、安心する。
「お2人の相性は悪くないと言うより、いい方なのですが…ん~…
ともみ様の後々のことを考えると、今回はお友達のままの方がいいと思いますね…」
「やっぱりそうですよね…。気になる人の彼女、今まで出会った人の中で一番仲良くて…」
分かっていた結果とはいえ、占いでも駄目だと言われると落ち込む。
「ん~…、そうですね~…」
天音先生の悩むような声と電話の先からまたカードを切る音が聞こえて来て、それから少しだけ沈黙が訪れる。
雰囲気上邪魔してはいけない気がして、黙って先生の次の言葉を待つ。
「相性は本当にいいんですよね。相手の方もともみ様にとてもいい印象を抱いているみたいですし…。
でも、親友との関係が悪くなるのは嫌ですよね…」
「はい…」
「ん~…少し勇気がいりますけど、ともみ様からの連絡はやめた方がいい結果になりそうですよ」
「いい結果っていうと、親友との関係も切れないで気になる人とも付き合えるってことですか?!」
「そうですね。
全部すぐにでは無いですけど、両方手に入れることも出来そうです。
一度、気になる人とはともみ様から距離を置いて、親友優先で頑張ってみてください。
相手からどうしてもと誘われた時だけ、気になる方とも会うぐらいの感じで」
「分かりました…!
ありがとう御座います、頑張ってみます…!!」
もう一度お礼を言って、電話を切る。
自分一人だったらどちらも失う方法しか思い浮かばなかっただろうと思うと、占ってくれた天音先生に感謝したくなった。
完全に会うことの無い他人だから相談しやすいのだろうか。
それとも天音先生が優しい話し方だからだろうか。
どちらであっても、天音先生は私にとって見えない道を示してくれるお姉さんのような存在だった。
たった2度しか話していないのに、こんな気持ちにさせてくれる先生は、本当に凄い。
感動そのままに感想を書き込んで、聡子のLINEをつける。
『お母さんのリハビリがもうすぐ終わるよ~!今度聡子の大丈夫な時に会おうよ!』
罪悪感からずっと先延ばしにしていた聡子と会う約束。
野上さんと取り返しの付かない関係になる前に天音先生に占ってもらって、本当によかった。
『今度の土日なら空いてるよ~』
動くスタンプと一緒に送られてきた文章に、安心する。
再会して尚更思ったが、野上さんとは無理でも、聡子との友情だけは手放したくなかった。
「返事来てよかった…」
ほっとして、了承の返事を打とうとした時だった。
聡子が次の言葉を打ち込んでくる。
『今から30分ぐらい返事返せない~ちょっと起きて待ってて』
スタンプと一緒に送られてきた文章に、嫌な予感がした。
ここ数ヶ月聡子とLINEのやり取りをしてきて、起きててと言われるなんて初めてだ。
何か良くないことが起こった気がして、野上さんにLINEを送りそうになる。
聡子の方で何が起こっているのか、野上さんだったら知っているかもしれない。
でも、天音先生に自分からは野上さんに連絡しないようにって言われたし…。
じっとしていると野上さんにLINEしてしまいそうで、今日早速手に入れたばかりの求人誌を開く。
私に待てと聡子が言うということはきっと、今私が事情を知ったところで出来ることは無いだろう。
それなら、状況を悪化させるかも知れない行動を取るよりも、言われた通り大人しく返事を待った方がいい。
事務職に絞って求人誌を眺めていると、野上さんの会社の求人が目に入った。
天音先生に言われる前だったらきっと私は、後先考えずに野上さんの居る会社の面接を受けに行っていたことだろう。
恋で周りが見えなくなりかけていた自分に気付いてゾッとした。
以前と同じ条件に絞って求人誌に印を付けていると、スマホがLINEのメッセージを受信した。
「スタンプが押されました」の文字を確認して、聡子のLINEを開く。
可愛らしいクマのスタンプには、ただいまと書かれていた。
『おかえり~』
スタンプ付きで返事をすると、すぐに既読が付いた。
『今、奏と別れた!智美がもらっちゃっていいよ~』
返って来た言葉に、冷や汗が浮かんだ。
少なくとも、聡子には私の気持ちはバレている。
この文章が本当なのか罠なのかは分からないけど、野上さんにLINEしないでよかった。
『奏さんって、聡子の彼氏だよね?別れたって…私のせい?』
あまり時間を置くといけない気がして、慌てて返事を打ち込む。
既読の文字は付かなかった。
不安になって、もう一回返事を打ち込む。
言い訳を嫌う聡子だから、「ごめん」とだけ書いて送信する。
今度はすぐに既読が付いた。
『ねぇ、うちの彼氏の名前ひらがなで書いてみて』
少し悩んで、「のがみかえでさん」と打ち込んでみる。
聡子からの返事は、文章では無く大笑いしている動物のスタンプだった。
『下の名前も教えてないって本当だったんだね~』
私が返事に悩んでいる間に、次の文章が送られてくる。
『奏に直接LINEさせるね~。私眠いから寝る~』
聡子を凄く傷付けてしまった気がして、上手く返事を書けなかった。
スマホを握りしめたままぼんやりしていると、野上さんからLINEが来た。
『今聡子と別れました。おれのせいなので、町田さんは気にしないでください』
『それと、名前は野上奏太(のがみそうた)です』
野上さんから届いたLINEの内容に、2人が一緒に居たんだと確信する。
律儀に振り仮名付きで名前を教えてくれた彼に、どう返していいか分からないでいると、また文章が送られて来る。
『このタイミングで悪いですけど、町田さんのことが好きです。結婚前提で付き合ってもらえませんか』
『ちゃんと会ってから告白しなおしたいので、どっちの返事であっても、返事は会った時でお願いします』
LINEだと少し固くなる野上さんの文章は、いつもだったら凄く嬉しいけど今は、聡子の方が気掛かりだった。
既読のまま放置していた聡子のLINEに意を決して質問を返してみる。
『聡子と私は、まだ友達でいれますか?』
敬語で打ち込んだ質問に、すぐに既読が付いた。
『智美ってやっぱり、何でも気にしすぎ!』
『奏と智美が付き合っても、私達は親友のままだと思いますよ!』
珍しく敬語で返された聡子の返事を信用することにして、野上さんのLINEに戻る。
『どこが好きなのかって、聞いてもいいですか』
送信ボタンを押す前にもう一度読み返して、文章を消す。
『じゃあ、母の次のリハビリの日にお願いします』
それだけ送信して、私はLINEを閉じた。
すぐに野上さんからの返信の通知が来たが、私はなかなか返事を確認する勇気が出なかった。