大切な人を失った時

事故で大切な人が急にいなくなった。苦しんだ7年の末、克服し感謝へと変わった話

波川優希乃さん(女性・40代後半)

普段の生活を過ごしているとき、当たり前に平和な毎日がやってくると感じています。

ですが、災害も問題も困難なこともある日突然やってきます。

昨日まで楽しく話していた人が、ほんのちょっとの時間のズレやすれ違いによって信じられないような姿になるとは想いもしませんでした。

皆から頼りにされていた同僚の存在は大きく

私にはとても大切に接していた家族のような女性がいました。

その女性は私の母とあまり変わらない年齢だったため、まるで本当の母のように気遣ったり、心配をしながら毎日のように接していました。

その方は職場での同僚でしたが、職場同士の同僚たちも仲がとても良くて「食事はもうとったか?」「体はどう?無理していないか?」など、毎日の自分たちの身の回りで起こったことを報告し合っていました。

仕事仲間であることもあり、それぞれに皆、人の好き嫌いがあったことは否めません。

ですが、同僚たちの仲を取り持って仲直りをさせてくれるような女性でした。

とても優しく、たくましいまるで「肝っ玉母さん」を地で行く方でした。

ある日、突然襲った事故により他界

ある日の事、シフトを終えて私は家に戻ったのですが、夜10時過ぎに携帯に電話がかかってきました。

「Aさんが車にはねられてしまったんだよ」と同僚からの電話で、初めてその女性が交通事故に遭ったことを知りました。

「ええ?」と驚いた私は、他の同僚に電話をして真相を確かめました。

するとその女性は、ある仕事をしておこうと気をきかせて外に出たのですが、夜暗かったこともあり大きなトラック車にはねられてしまったということでした。

残念ながらその場で息を引き取ったそうです。

翌日私は職場に出勤すると、皆の声が沈んでいました。

「Aさん、すぐそこで亡くなったんだよ」と言われ、すぐに涙が浮かんできました。

「何で?よりによってあの時間に?」

皆で何度泣いたかわかりませんでした。

職場のリーダー格だった優しいAさんにはもう二度と逢えなかったことを改めて感じさせられました。

それでも仕事は続けなければなりません。

同僚たちは淡々と仕事を続けて行きましたが、やはりAさんが亡くなったことを誰もが受け止めらずにいたことは一目瞭然でした。

悲しみのお通夜・お別れのお葬式では無念ばかり

そしてお通夜があり、告別式が行われた時には皆全員が泣いていました。

最後のお別れにお顔を拝見すると、優しそうな姿のAさんが眠っていました。

「つらかったろうに」「無事に天国にいけたよね。きっと」と口々に言葉に出した同僚たちは、誰もが無念を感じました。

Aさんにはご家族がいらしたのですが、中でもお孫さんがまだ小さかったので「このお孫さんを残してAさんは心のこりだろうね」と胸が痛みました。

お葬式が終わってからもその現場には花が植えられました。

何度振り返っても女性はもう職場に戻ることはありませんでした。

ですが、皆の心に残ったのは「何で誰も助けられなかったんだろう」という無念の思いばかりでした。

自責の念が皆の心に残ってしまったのでした。

「どうして?」

あの時誰かが(その女性に)声をかけていたら、何分か後に通り過ぎていたら、事故なんて起こらかったのに。

何度も悔やんでしまったことを今でも覚えています。

私の場合は、実際の母親よりも長い時間を共に過ごしていたので、余計に後悔の念が何年も残っていました。

「何で助けられなかったんだろうか」

もしその時間に誰かがその女性を引き留めていたり、話かけていたら女性はその場所に行くことはなかったのだろうと。

女性の存在があまりにも大きかった後、空虚の日々

その後も亡くなった女性が通勤に使用していた愛車だけが駐車場に残っていたことで、何度も同僚たちは現実を受け止められなかったのです。

何日間もその愛車が置いたままでしたが、最終的にはご家族が引き取りに来ました。

「Aさんが何気なくおはよう!ってやってきそうな気がするね」「声が聞こえた気がしたよ」と言う同僚たちの言葉がしばらく続きました。

女性はいつも明るい声で皆に言葉をかけてくれていたのですが、愛車を見るたびその姿を思い出すたびに、何度涙が溢れたかわかりません。

その時に大切な人を失ったのは私だけではなく、もちろんご家族は無念だったはずですが、淡々としていました。

こうして皆の心に無念な気持ちを残したまま女性は旅立って行きました。

ですが、何をするにはその女性のことが頭を離れないことが多かったです。

「私に何かもっとできたことがあったのでは?」と思うたびに、何度もその想いに引き戻されたため、女性が亡くなったというその道をなかなか通り過ぎることができませんでした。

最終的に克服したのは心理学の学びで感謝に変わった

その無念な想いは何年も続きましたが、命日の日が近づくたびに今でもカレンダーに目が行きます。

「ああ、もうそろそろAさんの命日がやってくるね」と。

7年が経った今、私自身もやっと彼女の死を受け入れられた気がします。

無念の念は何年も心に重くのしかかっていたのですが、最終的には心理学の勉強を進めて行く上で、時間と共に女性へは敬意や感謝の気持ちへと変わりました。

まとめ・同じ境遇の方へのメッセージ

誰にでも大切な人と別れる瞬間はやってきます。

それが家族であっても職場の同僚でも友人でも、大切な人と別れる悲しみは誰にでもいつかは訪れる日がやってきます。

「悔いのないようにいきよう」

と誰もが口々に言葉に出します。

ですが、その言葉は軽々しく述べるのではなく、経験をしたからこそその言葉を深く胸に刻み込まれた結果、出てきた言葉です。

つい、この女性の死を時折忘れてしまいそうになりますが、時折その女性を思い出しては「元気?」とようやく話しかけることができるようになりました。

本当に皆から愛されたAさんは、このような形で命を失ってしまいましたが、私たちに深い悲しみよりも、もっと大切なものを教えてくれたように感じます。

時間が大切ではありますが、自分が忘れなければいつもその方は心に居続けることができます。

そして、無念な気持ちを持ち続ける事よりも、元気になった姿をその人に伝えながら、共に生きることの方が大切なのだなと感じます。

深い悲しみから立ち直れずにいる方に特に少しでも、お伝えできればいいなと思います。