泉義孝さん(男性・30代前半)
まず、愛犬が亡くなったペットロスという状態を、どう思われるかが人によってかなり違った。
人が亡くなったんじゃないのだからとペットと人は違うと考える人もいればペットは家族だと思う人もいる。
僕は後者だったから馬鹿にされるのがすごく辛かった。
精神状態が落ち込んでしまっているときは、人をあまり見ずに相談してしまったりしがちなので普段からこういう話題でもきちんと自分の意見を持ちアドバイスをくれて自分を立ち直らせてくれる人を探そう。
愛犬を失ってペットロスになるまで
この夏、12年共に連れ添った愛犬ポンが天国へ旅立った。
僕自身、両親や親戚は病気はすれどもみんな元気で今まで見送りをした経験はなかった。
よくいうペットロスと言えばそんな感じなのだろうが僕にとっては大切な家族の一員だった。
なかなか立ち直れず、犬のでてくる携帯会社のCMや、公園で散歩する犬さえきっかけになりすぐに涙があふれてしまっていた。
悲しいというよりどうすればいいのかわからなかった、もっと遊んであげればよかったと後悔ばかりしてしまった。
そこからどのように立ち直ったか聞いてもらえたらと思う。
ポンとの出会い
ポンとは生後3か月のとき、家の近くのペットショップで出会った。
僕は大学生だった。
ペット可のアパートにたまたま住んでおり、職場からも近かった。
僕は当時失恋してかなり寂しく、癒しが欲しかった。
ペットショップで一目ぼれしたポンは、まん丸の目で僕を見てきた。
何度か通い、家族にすることにした。
ポンと同じ部屋で暮らし、トイレやお手、伏せ、待ても教えてすぐ覚えた。
ポンはいい子でとてもおとなしく、一度も嚙んでくることはなかった。
散歩していても、マナーがよく近所の人も良くしてくれた。
ポンとの生活が始まってから、オフは引きこもりがちで、他は職場と家との往復だった僕は近所の人との交流もするようになった。
ポンとの出会いから、僕に明るさが戻った。
ポンとの12年間の生活
そこからポンとは12年連れ添うことになる。
仕事が忙しくなり、僕は帰ると疲れ切って寝てしまうことも多くなった。
出迎えて、ぺロペロなめてくれ最初の内は遊ぼう遊ぼうとかまって欲しがっていたポンはそのうちおとなしくなった。
同じように出迎え、あとはそっと僕とソファーで寄りそって大人しくしている。
僕はたまに行く散歩も、夜遅くなってからのことが増え、早々と切り上げてしまっていた。
それでもたまの休日は、ポンに起こしてもらって遅めの一日が始まると公園に行きボール遊びをたくさんした。
遊びに行くと、とてもうれしそうにしっぽを振る。
仕事で悩んでいた時期も、僕はそれで癒された。
ポンの死と僕
12年たった。
ポンはかなり大きくなった。
僕は相変わらず忙しく日々を送っていた。
ポンはだんだん食べる量が減っていった。
散歩に行ってもすぐ息切れて座り込んでしまう。
ポンは足を引きずるようになって、よく食べたものも吐いていた。
動物病院に連れていくと、足に腫瘍ができていると言われた。
食べないポンの口を無理やり開けて、薬の錠剤入りの餌を押し込むのは僕にとって苦しかった。
でもポンのためだと頑張った。
僕も頑張ったがポンも頑張った。
何しろ12年、よく頑張った。
ポンはだんだんそのまま弱って、最後には動けなくなってしまった。
名前を呼ぶと立とうとはするが、力が上手く入らないようだった。
ある朝、小さく鳴いて、息を引き取った。
僕はポンをペットの葬儀場へ連れていき、火葬して見送った。
合同の墓にポンの遺骨も入っている。
僕はずっとポンに声をかけ続けた。
寝ているときも、起きても、ポンは夢に出てくるし、どこかで鳴き声が聞こえる気がした。
僕は今まで親族の見送りを経験したことがなかったから、ポンに先立たれ、どうすればいいのか心が分からなくなったのだと思う。
テレビを見ていても、犬のCMで自然に涙が溢れて止まらない。
介護施設に務めているが、職場で痛いという言葉を聞くだけで脈略関係なく、ポンも足痛かったよねと情景が出てくる。
実際、単にペットでしょそれぐらいでと職場では馬鹿にされたがそういうふとしたきっかけで涙が止まらなくなってしまっていた。
心配をかけてしまい、仕事にならなかったので休みまでもらうくらいだった。
僕の頭では対応しきれないことが起きてしまっているような、そのくらい大きなことだった。
ペットロスから立ち直らせたもの
僕は、悲しみのまま2~3日泣いた。
涙は枯れたので職場では普通に仕事をしていたが、後悔の念ばかり残った。
僕は仕事が忙しくなり、ポンの相手より自分の疲れを優先してしまった。
ポンは僕しか知らないのに、僕しか頼れなかったのにさぞ寂しい思いをしたのだろう。
ポンは寂しくても誰にも相談できなかったに違いない。
たくさんの後悔の念と僕は向き合った。
時間が解決してくれる、みんなはそう言っていた。
だけど、僕のしてきたことをもうポンには返せない。
もう遊ぶこともできない。
そう思う繰り返しの日々が辛くて仕方なかった。
ある日職場でかなり上の先輩の話を聞いた。スピリチュアルに詳しい人だった。
もちろん身近な人を見送った経験もある。
年齢もかなり上だった。
エハラヒロユキさんのことをかなり尊敬している人で、死後の世界のことを僕に話してくれた。
ポンは後悔なんかしていない、僕(あなた)に会えて良かったと感謝している。
あなたも前に向かって生きていかないとポンが悲しんでしまう。
そういうポジティブに、プラスの方向に気が向けられる話をたくさん教えてもらった。
スピリチュアルなというと、僕も始めそうだったが、もしかしたら怪しい話なのかと思うかもしれない。
ただ、僕はかなり引き込まれていった。
僕も立ち直る起爆剤のようなものが欲しかったのだと思う。
話は続いた。
この世には修行をするために生まれてくる。
課題を与えられていて、それをクリアするために生きている。
生きるという、人生の旅をしている。
ゴール、つまり課題が達成すれば、また天国へ戻れる。
犬も同じでペットとして飼われた犬は愛されることが課題なのだという。
ポンはこんなにそばに居てくれて、愛してもらって幸せだと思う。
それから何十年先かはわからないが僕は再び天国でポンに会えるそうだ。
それまで、ポンはずっと待っていてくれる。
おおよそ、そんな話の流れだったと思う。
そんな話を聞いているうち、ポンが見ているから恥ずかしいことはできない、そう思えるようになった。
泣くのは違う、また会えるのだからと思えた。
気持ちのマイナスをただ同情してくれるのではなくプラスの方向に変えてくれる人に出会えてよかったと僕は思う。
他の大多数の人は、同情してくれた。見たこともない犬の為に一緒に泣いてくれる人もいた。
もちろん、犬くらいで大げさな、人じゃないんだ、悲しみすぎだと馬鹿にしてきた人もいた。
でも、同情はもちろん、馬鹿にされたくやしさのバネも、悲しみの深い僕の前向きになれるスイッチにはならなかったのも事実だった。
そういう気持ちをそうだね、と同情してくれる人や犬くらいでと馬鹿にしてくれる人だけではなく、プラスの方向に変えてくれる人の存在は大きいと知った。
ペットの合同の墓の前で僕は誓った。
もうポンの為には泣かない。
また会えるから悲しくない。
そして言った。ポン、ありがとう、またボール遊びできるまで待っててねと。
家族を失いペットロスを経験しているあなたに伝えたい
まず、想い出は楽しかったことだけを残そうと思った。
僕の場合、ポンが動けなくなってから日々の様子が心配でスマートフォンからも見られるカメラを家に設置したりした。
その反面ポンが小さいころのものとか、ポンの成長過程、ポンとの思い出の写真はほとんど残していなかった。
結果、日々弱っていくポンばかりを何度も何度も見て泣いて目に自然に焼き付ける結果となってしまっていた。
そうしないためにも、何気ない日々の今となっては戻ってこない思い出はもっと写真や動画に残していればなと思った。
また、自分の心の整理についてだがやはり同情してくれる人、馬鹿にしてくる人もそれぞれいたのは事実だった。
そうではなくて、立ち直れるようなアドバイスをくれるような関係性の人とも普段から付き合っておくといいと思った。
自分はそういう相談の時いっぱいいっぱいだったので、普段相談しないような人にもどうすればいいか聞いて回ってしまったこともあった。
その分だけ、同情されたり馬鹿にされたりしてあとに虚しさだけが残った。
僕をプラスの方向へ変えてくれる人の存在に出会うまで悩み続けることになってしまったから、普段からそういう人を見つけておくことが大事だと思った。
あとは、やはり時間が解決してくれるというのも多少はあったと思う。
また、我慢せず泣きたいときには泣く、落ち込むときにはちゃんと冷静に落ち込んでそれが気持ちを切り替えるきっかけにできるようにする。
スイッチをオンにしてくれるカラっとしたタイプの人にも僕は助けられた。
相談できるような人を普段から見つけておくことも重要だと思う。