結婚・夫婦関係

10年苦しんだ旦那との結婚生活と鬱との闘い、克服法は離婚、ストレス軽減したこと

田中佳代子さん(女性・37歳)

私は小学校一年生の男の子を持つシングルマザーだ。

元旦那にはこの10年間ずいぶんとふりまわされたのである。離婚、鬱の発症といった感じで最終的にはバツ1になったのである。

自分は一生懸命頑張っていても相手よって無駄であることを痛感した10年であった。

元旦那の裏切り、嘘、経済面、放浪癖にはほとほと疲れ果て、ついにはうつ病も発症した。長い闘病生活の始まりから離婚、社会復帰までの道のりを書いていこうと思う。

シングルマザーで同じくダメンズを経験した人に共感してもらえ、また、いままさに悩んでいる人がいれば参考になればとおもっているのである。

それでは経緯を書いていこうと思う。

元旦那の性格と嘘の連続の結婚生活

付き合っているころから元旦那はよく、ばれる嘘をついていた。性格は優しいだけが取り柄でほかにいいところはないということが結婚してから徐々にわかってきた。

まずは金銭面。付き合っているころは同棲しておりお互いにばりばり働いていたのでお金に余裕があったので気づかなかったが結婚して妊娠して私が退職してから金銭面は激変した。

元旦那の給料で生活することになるのだが、まず、明細を見せないのでいくらもらっているのかわからない。嘘をついてごまかすのである。何回言ってもみせないのでこちらもあきらめたが生活費だけを入れる感じで生活はぎりぎりだった。

後になっておもえば若いときに作ったギャンブルの借金の督促が最近まできていたので、私に言えない借金を抱えていたのとともに、会社で残業と言ってパチンコに行っていたのであろう。いつも帰ってくるのが遅かった。

また、家の中においていた生活費が急になくなるという事件も何回もおきた。元旦那に聞いても、知らないよの一点張り。財布を落としたという嘘もよくあった。そのたびに生活費から貸すということを行っていたのである。私も甘かったなと今思えばそう思う。

元旦那は嘘の塊でつくられたような人間で職場でも協調性がないため人間関係ですぐに退職したりするのである。転職を繰り返し、生活費が滞ることもあった。

何回も転職したのち、ある時私になんの相談もなしに会社を作ったのである。自分が一番上で働きたいというバカな理由で。信用もないし、友達すらいないのに会社でもうまくやっていけないのに、うまくいくはずもなく、3か月で借金300万を作り、倒産したのである。そのころから私の調子がおかしくなってきたのである。

うつ病の発症

元旦那のストレスと借金の督促の嵐から、私の体に異変が起きた。朝起きれない、体が動かない、なにも考えられない、家事育児もできないといった感じで一日寝たきり状態の始まりだ。精神的に追い詰められて旦那にも裏切られ頭がおかしくなった。

すぐさま実家の親へ助けを求めた結果、病院に行き、うつ病と診断されたのである。そしてそのまま入院したのである。入院中も何も考えられず、一日中ベットの上でないていたが、子供のことだけは気がかりで何もできなくてもそばにいたいと一週間で家に帰ったのである。決して病状がよくなったわけではない。

母子生活の始まり

元旦那と一緒にいるのは精神的によくないし、家には督促の訪問の嵐だし最後の力を振り絞って離婚してくださいと言って手続きを全部自分ですませた。元旦那も借金の督促追われ、疲れ切っていたところに離婚を突き付けたので、やる気もなく、サインしてくれたのである。

実家の両親の助けもあり、実家近くにアパートをかりてくれ、生活の面倒ではずいぶん親にお世話になった。鬱状態だけど、お金もない、けれどこの子をきちんと育てなければという強い気持ちだけはあった。

薬を飲みながら思い腰をあげてパート探しをしたのである。できることならなんでも良かった。

たまたま近所のスーパーのレジが募集していたのですぐに面接にいったのである。もちろん鬱なことは隠して。結果は合格だった。アパートの下に保育園があったのでそれも頭を下げてすぐに入れてもらった。もう自分が動けたのがすごいと思うくらい必死だったのである。ここから鬱病を抱えながらの子供と母子生活の始まりである。

朝頑張って起きて薬を飲む、保育園に送り、パートに夕方までいく、パート先では鬱で頭が働いてないため覚えが非常に悪かったが人間観家にめぐまれた。

そして夕方保育園に迎えにいき、少しの間体を休める、大体5時〜6時の間仮眠して、疲れを取るようにしていた。そして簡単なものではあるが夕飯を作ってお風呂に入れて、寝かしつける、これを頑張って続けたのである。

両親の手助けには非常に感謝している。夕飯の差し入れから孫の面倒まで動いてくれたのである。

私は、正直きつかった、しかし、そんなこと言っている場合ではなかったので必死だった。

旦那の依存癖、決別の時

離婚はしたものの子供がいるため、旦那はたまに連絡をかけてきた。どうやら借金をかえすために出稼ぎに出ているようであった。

たまに帰ってきては訪問して子供と遊んでいたのでそれは許していたが養育費は一切入れず、うちに泊まりこむこともあった。

元旦那は、付き合っているときから私に金銭的な依存癖があり私はパートと母子手当と親の援助があったので生活はできていたので、自分は払わなくてもいいくらいに思っていたのだろう。

元旦那は子供には会いたがるがそれだけであって、変わらず自分勝手であり、それが私のストレスで鬱が良くならない原因でもあった。また、音信不通が続いたと思えば突然何か月かして連絡をしてきての繰り返しで縁が切れなかったので先にも進めなかった。

子供がパパのことが大好きだったので、ぐっと我慢したが、私も仕事になれ、仕事をするうちに鬱の症状も緩和されてきて、物事を深く考えられるようになってきたのである。

子供には悪いしかわいそうだけど、もう、絶縁をしたいと思ったのである。そう思えるまでに3年の月日が流れていた。

もう二度と私と子供の前に現れないでください、先に進みたいので。と電話をして、その後電話番号も変え、家も引っ越したのである。完全な決別である。

思い返せば、元旦那には正直、振り回されては許しての繰り返しであった。

しかし、私の中で子供のことを考え何が大切か、考えたときにどんな父親でも連絡がつく方が良いと思っていたのである。子供は当然離婚ということは理解していないし、仕事で出かけていると思っていたであろう。

しかし、父親の背中を見て育つ子供は多いと思うが、ある時ふと、見せない方が幸せなんじゃないかと考えるようになったのである。その分私が頑張って鬱と闘いながらも立派に育てていければシングルマザーだってなにも恥ずかしくないし、後ろめたい気持ちになることもないと。自分の考えが変わった瞬間であった。

今も通院しながらパートを続け、節約しながらも、子供との生活を守っている。子供も無事小学生になった。だんだんと大人びてきて普通の会話ができるようになってきて、今がとても楽しい。元旦那が現れたり連絡をしてきたころから比べると、明らかにストレスフリーである。解放感と充実感でいっぱいである。

これから先、子供との間にいろんな問題がおきるかもしれないが自分をしっかり持っていれば、自分が頑張る姿を見せておけば大丈夫だろうと思っている。

シングルマザーは時に心の葛藤があるが、一つ一つクリアしていけばいいと思う。同じく旦那問題でシングルマザーになることを悩んでいる方、本当に大切なことは何か冷静に考えてみてください。何も父親がそばにいることが幸せとはかぎらないとおもうのである。私はそれに気づくまで鬱だったため、3年かかってしまったが、一人でも多くの母親が幸せになることを願っている。