田中有紀さん(女性・30代前半)
私は、昔からとても消極的な性格だ。
小さい時に、同世代の子達と写真を撮っているのを見返すと、常に端っこにいて、さらにいつも不安そうな顔をしていた。
小さい時のことを思い返しても、友達と遊んだという記憶よりも、家族と一緒に出かけたことの方が断然記憶に残っている。
そのように、小さい時から消極的で人見知りの性格だった私ですが、それは大人になっても続き、ずっと悩みの種になっていた。
どうしたら、自分の性格を変えられるか、どうすればもっと前向きな性格になれるのかを、ずっと悩み続け、上手く自分を変えられないことに苛立ち、一度、自殺をしようとしたことがある。
それでも、今まで生きてきて、「あの時に死んでいたら、このようなことは味わえなかったんだな」と思えるところまで立ち直れ、今の状況がある。
私が、どのようにして、今の状態になったかを、まとめていこうと思う。
家族以外、親戚や同世代の子とまで、コミュニケーションが取れない
私は、家族と一緒にいるときは、とてもやんちゃで、いたずらばかりをしている子供であった。
昔の写真を見ても、自分の兄と写っている写真や、親と写っている写真の時には満面の笑みを浮かべている。
家族旅行に行ったときにも、家族と一緒ならばとてもよく笑う、普通の子供であった。
だが、写真の中に、親戚のお姉ちゃんや、おばあちゃん、同級生の子が写っているとなると、表情は一変していた。
眉間にしわを寄せて、とても不安そうな顔をして写真に写っているのである。
写真からもわかるように、他人とのコミュニケーションがとても苦手な子供だったのがわかる。
自分の昔の記憶の中でも、親戚との集まりは、嫌で参加するのがとても苦痛で、「なんだかしんどい」と言って、仮病を使い、集まりに行かなかったこともある。
人見知りというレベルを超えて、人が苦手という感じであった。
中学生でのいじめ
小さい時から、人とのコミュニケーションが苦手で、人との会話が苦手だったということが、そのまま続き、中学生になった。
小学生の時は、同級生とのつながりはあっても、先輩後輩という関係は特になかった。
しかし、中学生になり、部活動を始めると、嫌でも先輩後輩という関係が生まれてくる。
今までは、消極的でクラスに友達がいなくても、コミュニケーションをとるのが苦手でも、そのクラスの中で浮く存在というだけだったのだが、そうはいかなくなったのである。
部活動をしていると、先輩への挨拶というのがとても大切になってくる。
私は、同級生への挨拶もできないくらいなのに、先輩への挨拶というのはとてもハードルが高かった。
朝の、登校でどうしても先輩で出くわすことがある。
その時に、普通に「おはようございます」と言えばいいのだが、私にはそれができなかったのである。
先輩とすれ違っても、下を向いて、先輩に気づいていないふりをしたり、遠くから先輩が見えると、あえてすれ違わないように、歩くのを遅くしたり、道を変えたりしていたのである。
今思うと、なんでこんなことができないのだろう、と思うことではあるが、当時の自分にとっては、この挨拶というのがとても辛かったのである。
私自身、先輩が嫌いで挨拶をしないわけではなく、挨拶をするのが緊張してでいないという理由だったのだが、先輩としては私のこの行動が気に食わなかった。
数人の、ボス的な存在の先輩から、陰口を叩かれるようなったのである。
しかも、私が先輩の近くを通ると、あからさまに、舌打ちをされたり、「あいつ、すれ違っても挨拶もしない、最低なやつ」と私の周りの人にまで聞こえるように言いだしたのである。
もちろん、この状況を作ったのは自分なのだ。
そのことを知っているからこそ、自分自身が情けなくて、悔しかった。
自分が挨拶さえすれば、こんな状況にならないのに、なんで挨拶できないんだろう、と自分自身の性格が本当に嫌になった。
唯一いた友達からも、「先輩、すごいこと言ってるけど、どうしたの?」と言われ、その友達も、私と居るとイジメられると思ったようで、だんだんと距離を置かれるようになったのである。
同級生の中でも馴染むことができず、休憩時間は自分の机でひたすらヒッソリを過ごし、部活動では、先輩に陰口を叩かれるという状況が半年ほど続いた。
精神的にもだいぶ参ってきて、「もう死んでしまえば、この状況から解放される」とまで考えるようになり、自分で、コンセントで首を絞めてみたり、二階から飛び降りてみようとしたりするようになった。
そして、最後に、風邪薬を一気に20錠近く飲んでみることにした。
すると、飲んで数時間後に、頭痛がひどくなり、吐き気がして、フラフラの状態になった。
そして、気が付くと、病院にいたのである。
私が、真っ青な顔をして倒れているのを家族が見つけ、救急車で病院に運んでくれて、私は数日間眠っていたとのことだった。
私の気持ちとしては「あー。まだ生きてたんだ」という気持ちで、助かったという感動ではなく、残念な気持ちでいっぱいだった。
周りの人には、私が薬を大量に飲んだというのは、絶対に言わないでおこうと思っていたので、周りからはどうして私がこのような状況になったのかがわからなかったのだが、私が何かしらのストレスを抱えていたということは伝わったのである。
それからも、対人恐怖症に苦悩する日々
2週間ほど入院をして、他院をし、学校に復帰することになった。
入院をきっかけに、先輩と出会わない時間に登校するようになったり、私が入院するほど体調が良くないということで、周りの対応が以前よりも緩くなったのである。
先輩とすれ違う時も、声は出せなくても、頭を下げて会釈をするようになり、先輩も、入院した私にそれほど辛く当たることはなくなった。
それからも、高校生、大学生と人と接するのが苦手という状況は続き、大学生の時には、心療内科に行って「人と接するのが苦手で、怖いんです」と先生に伝えたこともあったが、心療内科の先生は「もっと、気持ちを軽くして、気楽に考えたらいいんですよ」と私の気持ちはまったく理解してくれず、中学生の時と時以降、自殺をしようという気持ちはなかったものの、苦悩の日々は続いたのである。
先輩からの人生の中で記憶に残る言葉
仕事をし始めても、人間関係での悩みは続いていた。
さらに、仕事に追われて、人間関係と、仕事とで余裕がなくなり、ボロボロになっていった。
そんな状況を、同じ職場の、年が10以上離れている先輩に助けてもらったのである。
その先輩も精神的に強い方ではなく、病院で薬を処方されたこともあるとのことだった。
そんな先輩が「人生は長いんだから、今すぐ変われなくてもいいんだよ。人の成長は、階段みたいなものだから、何も変化がないように思えても、ある日ふと、成長してるっとこともあるんだよ」と、言ってくれたのである。
このように、自分の性格について、悩みを打ち明けて、話を聞いてくれた人というのが、初めてで、私はこの先輩の話を聞きながら、泣き崩れてしまった。
そして、「もっと自由に生きてみよう」と思えるきっかけになったのである。
恐怖症を経験しているあなたに伝えたい
私は、人との関係の中で、「しっかりとしないといけない、相手に好かれるようにしないといけない」という気持ちが強かった。
自分を完璧に見せないとという気持ちが強すぎて、逆に人との関係がとても苦手になっていたのである。
今は、「馬鹿な自分を見せてもいいや、おかしいと思われたら、その人とはもう関わらなくてもいいし」と開き直るようになったのである。
人との接し方が苦手で、会話も苦手という、私と同じようなあなたは、とても心の優しい人だと思う。
会話が途切れた時に、「何かしゃべらないと・・・」と焦る気持ちがあったりする。
なにも、自分が責任を感じることはないのである。
沈黙でも、それでもいいのである。
努力するとしたら、いろいろなところに出かけて、楽しいことを見つけたり、美味しいものを食べたりして、「人にこのことを伝えたい」ということを見つけると、人との会話の際に、人との会話の糸口が見つかることになるのではないだろうか。
人と接するのが怖くて嫌でも、生きていく上で人との関わりはなくすことができない。
それならば、もっと気楽に生きていったほうが、自分の人生なのだから、自分のためになるのである。
もっと「わがままに」生きるというのが、大切なことなんであろう。