安枝終誠さん(女性・30代前半)
大好きだった祖父が亡くなり、気力の無い日々を過ごしていた。
突然の別れは辛く、何をしても楽しくない思いが常にある。
でも自分を支えてくれる人がいると知った時、自分の気持ちを前向きに変える事が出来た。
悲しい事も乗り切れば自分にとってプラスになる。
祖父との別れによって今までの自分を見直し、後悔しない生き方をする事が大切だと知る事が出来た。
自分の生き方や人との関わり方をどうしていくかも含めて自分の事を見直すことが出来る出来事を振り返ってみた。” “??私は物心ついた時から祖父の事が大好きだった。
単身赴任で居ない事も多かったが帰って来た時には必ずお土産をくれ、優しく接してくれていた。
祖父が退職してからは高校までの送り迎えを率先してやってくれた。
面白いことを言って笑わせてくれたし、おおらか性格で怒った所は殆ど見たことが無かった。
退職しても、地元の少年野球チームの監督をやりたいとか、地元の海の上に大きな橋を掛けて移動を楽にしたり、お店を作って活性化をしたいと夢を語っていた。
私の友人達にも優しくしてくれて自慢の祖父だった。
突然訪れた祖父との別れ
私は短大に通っていたが、実家から離れた場所で寮生活をしていた。
そして実家には長期休みにしか帰っていなかったが、衝撃は訪れたのだ。
冬休みに入り、初日を好きなアーティストのコンサートに行くことが決まっていて、寮からコンサートの開催される場所へ移動した。
そして会場から実家へと帰る事にしていた。
実家へ帰るバスの中で母に翌日の迎えのメールをしたところ、思いも寄らないメールである。
「ゆうべおじいちゃんが亡くなりました。だからタクシーで帰ってきてね」という内容だ。
私は信じられなかった。
祖父は冗談を言うのが好きだったので、学校でなかなか帰れないという私にジョークで死んだと言ってみてと母に頼んだと思ったのだ。
入院していた訳でも無いし、重い病気だった訳でも無いのに死ぬ訳がないと思った。
最後に会った時にも冗談を言って笑っていたので、祖父のそんな姿がまた見れると信じていたのだ。
受け容れがたい真実
そんなこんなで自宅に帰ると慌ただしくなっていた。
玄関には葬家の提灯と喪中の札が貼られていた。
何だか自分の家に帰ったのに、自分の家ではないような不思議な感覚だった。
喪中の札をそれを見ても俄には信じられず、家族に迎えられて自宅に入った。
自宅の仏壇の前には棺があり、そこには祖父が眠っていたのだ。
目は二度と開けられる事は無いのだ。
こちらが話し掛けても、返してくれる事も無いのだ。
その瞬間、亡くなったのは冗談などでは無かったと思い知る事になった。
今までの祖父との思い出が頭を過ぎり、涙が溢れてきた。
最後に生きている祖父に会ったのは夏休みの9月だったので、最近の祖父の姿を知らない事にショックだった。
夏休みが終わる9月から12月までの間に祖母の手術があり、その気になれば実家に帰る事も出来たのに、時間が無い事と交通費が掛かる事を言い訳にして実家に帰らなかった自分自身を責めた。
祖父は一度豪華客船での旅行をして、その旅行がとても気に入っていた。
その豪華客船にもう一度乗りたいという夢を語っていて、自分が働いて稼げるようになったらもう一度祖父を客船に乗せてあげたいと思っていた。
でもその恩返しも出来ないまま、祖父は天へと旅立っていったのだ。
予想できない死は更にショックであった
祖父が亡くなった理由を家族から聞き、更に悲しかった。
祖父の死因は偶然がいくつも重なり、本当に突然だったからだ。
祖父はお酒好きで毎晩のように飲んでいた。
でも泥酔状態で入浴すると良くない事を知っていたので、夕食前に必ずお風呂に入っていた。
その日はたまたまお風呂が沸いて居らず、家族が先にご飯を食べるように促したようだ。
そして泥酔状態で入浴した祖父だったが、湯船につかって溺れて窒息した。
家族も自分なりに過ごしていて、お風呂場の異変にはすぐには気づけなかった。
何か物音でもすれば誰かが気づいたのかもしれないが、特別大きな音もなかった。
あまりにも祖父の入浴時間が長いため、不審に思った祖母がお風呂場を覗くと既に祖父は呼吸をして居らず、心肺停止状態だったようだ。
慌てて救急車を呼び、人工呼吸や心臓マッサージをしたが、病院に運ばれた時にはもう手遅れだったようだ。
もう少し早く気づいていれば、いつものように入浴後に飲酒をしていれば起きなかったかもしれない。
誰も予期していなかった突然の死だった。
私自身はあれだけ祖父の事が大好きだったのに最期を看取れなかったのは辛かった。
祖父の葬儀後、私は何も手つかず状態だったが友人に励まされた
春からの就職先の系列のお店でアルバイトをする話あったがそれも気力が無く断った。
丁度成人式があり、振袖を着たが祖母の「おじいさんが生きていたら見たかっただろうに」という言葉を聞いてまた悲しくなった。
大好きだった祖父に自分の晴れ姿を見て貰えないのは寂しかった。
冬休み中はずっと辛い気を持ち抱えていたが、学校には行かなければならない。
寮に戻って、友人達に祖父の死を話した所、とても熱心に励ましてくれた。
泣きたい気分の私に優しい言葉を掛けてくれたり、面白いことを言って笑わせてくれた。
その瞬間、私はこの子達と一緒に卒業したいと思った。
こんなに素敵な仲間が居てくれる私は幸せ者なんだと心の底から思った。
そして悲しんでばかりはいられないと思った私は、卒業に向けて残りの講義を精一杯頑張った。
春からは新生活が始まり、社会人としての生活も始まるのでしっかり祖父の死と向き合わなければいけないと思った。
祖父は明るく笑顔が絶えない人だったので、自分がいつまでも悲しんでいる姿は見たくないだろうと感じ、出来るだけ笑顔でいようと決意した。
そして私は無事に卒業式を迎える事が出来た。
自分でも努力をしたというのはあるが、祖父が空からしっかりと見守ってくれて私がきちんと卒業出来るように力になってくれたんだと信じている。
今でも仕事などで辛い事があった時には祖父の笑顔を思い出して乗り越えている。
大切な人を亡くしたあなたに伝えたいこと
別れというのは辛く悲しい。
それが全く予期していない事であれば尚更である。
でもいつまでも悲しんでいても前に進むわけではない。
自分が前向きになる事で亡くした大切な人も嬉しく思ってくれる。
突然の別れで後悔しないために、大切な人との時間は大切にした方が良い。
私自身は祖父にして貰った事に恩返しが出来なかった事は心残りになっている。
でも、大切な人が生きている間ならいくらでも間に合う。
改めてお礼を言ったりするのは照れくさいかもしれない。
でも大切な人の為に何かをしたいという気持ちは必ず相手にも伝わると思う。
日々の中で何気ない事でもお礼を言ったり、共に過ごす時間を増やすだけでもいい。
相手に何かをするという行為だけでなく、自分が頑張っている姿を見せるだけでも違うと思う。
自分が頑張ることで相手に勇気を与える事も出来るはずである。
それに自分を支えてくれる人は必ず居るはずだ。
それは家族だったり友人だったり、恋人だったり様々だ。
自分を支えてくれる人に力になって貰いながら頑張れば、きっと辛い別れも乗り切っていけるだろう。
今思えば祖父の死を知らせる母も私に気を遣ってくれていた。
祖父の死は私がコンサートに行く日の朝方にはわかった事だが、母は私が帰る直前まで知らせなかった。
きっとコンサート前に知らせると私がコンサートを楽しめないと思ったのだと思う。
母の優しさや自分を支えてくれる人にもいつも感謝している。
人との過ごし方や感謝の形は人それぞれだが、大切な人が居なくなった時でも後悔しない日々を過ごして欲しい。