うつの克服は難しい。
うつで苦しんだ私が立ち直ったきっかけと、今伝えたいこと。
著者:谷絢香(女性・20代後半)
「私、うつですか?」
これが“うつ”と診断され、初めて発した時の言葉である。
「辞めさせて下さい。」
上司にそう言った。
もちろん理由を聞かれた。取り繕った言葉でまともな事を言うつもりだったのだが、いつの間にか涙が溢れ出す。
辛い。
苦しい。
動きたくない。
身体が重い。
集中できない。
寝ていたい。
人と関わりたくない。
仕事辞めたい。
何もしたくない。
私はダメな人間だ。
何が辛いのかわからない程、とにかく辛い。
死にたい。
無我夢中で訴えた。
これが私が訴えた初めてのSOSだったのでは無いかと思う。
気持ちの問題だと思い込んでいた。
怠けるなと自分を誤魔化してきた。
なんでだろう。
毎日が辛い。
怖い。
死にたい!死にたい!と泣き叫びながら目が覚めたことも、心臓がバクバクして眠れなかった日のことも全部、私が私に対するSOSだった。
今まで黙々と仕事をしてきた私が上司に初めて弱音を吐いた。
初めて自分を曝け出した瞬間でした。
上司はただただ驚いた様子で、私の話しを聞いていた。
ひと通り、話を聞いてもらった後、上司に心療内科への受診を勧められた。
心療内科で“うつ”と診断される
まさかと思った。
何かがおかしいと感じてはいたが、薬の処方がされる程、私のうつは進行していた。
診察室から出て、会計を済まし、車の中でしばらく放心状態のまま夕陽を見ていた。
はっと我に返り、上司に報告の連絡を入れる。
仕事を休むことにした。
私は、この日から仕事に行くのが怖くなり家でこもりがちになった。
気力も体力も無い。
生きてることが馬鹿らしくてどうしようもない人間に思えて仕方がなかった。
何事も気持ちの問題だと割り切りたかった。
割り切れなかった。
割り切ろうとさえ思えなかった。
私は、そういう人間なのだと諦めてしまった。
1年間の引きこもり生活
それから1年間、実家に帰り、引きこもり生活を続けた。
ひたすら寝た。
お風呂も入るのも嫌だったが、無理矢理入っていた。
お風呂に入るのが面倒で仕方なかったが、入った後の爽快感・ポカポカ感は好きであった。
家の中で自分の日常生活を送ることで精一杯であった。
そんな生活を続けていると徐々に疲れも取れてくる。
何かしようと思えるようになった。
花を育てることにした。
ミニひまわりの種を近所の花屋さんまで買いに行って、ガーデニングセットも購入した。
これが、数カ月ぶりに私が外出したキッカケである。
ガーデニングをしていると心が落ち着いた。
植木鉢も次第に増えた。
植物を育てる喜びと感動が、私を癒してくれたのだ。
近所の人との会話も増えた。
気分が紛れた。
人と話すことで前向きになれた。
ガーデニングを始めて9か月ほどで、私は職場復帰をすることになる。
職場復帰、そして、退職。
職場復帰してみたものの、まだ前のようにバリバリ働くことが出来なかった。しようとも思えなかった。
一度休んでしまうと、体力も落ちて前のようには動くことが出来なかった。
そういう気にもなれなかった。
この病気になって、無理をしないということを覚えたからかもしれない。
数カ月後、今度こそ私は仕事を辞めることにした。
後悔はしていない。
それが、私の度量の大きさの限界であった。
職場で働く人は、私にとってあまりにも眩しすぎる存在であった。
社会とはなれ、家での生活
そこから1年間、社会と距離を置いた。
生活は、貯金で賄った。
とにかく規則正しい生活を心掛けた。
ガーデニングも継続し、毎日散歩もした。
好きなことをひたすら探し続けた。
趣味なんて無かったのに、どんどん好きなこと、やりたいことが増えていった。
ガーデニング・スケッチ・手芸・木工・料理・ヨガ…
手当たり次第、挑戦し続けた。
趣味が増えていくと同時に、心も落ち着いて自信もついてきた。
ハローワークに行ってみようと思えたのも、この頃からである。
そして、現在の私。
今、私は、職業訓練に参加している。
社会に飛び込む前にリズムを付けたかった。
対人関係は上手くやっていけるのか、感情のコントロールは出来るのか自分を試したかった。
訓練期間中も、いろんなことがおこる。
対人関係のいざこざに巻き込まれるのも、久しぶりである。
何だかこういう厄介ごとにさえ懐かしさを覚える。
前の私と違うところは、他人は他人であり、自分は自分だと思えるようになったこと。
良く言えば、強くなった。
悪く言えば、図太くなったのかもしれない。
しかし、それが自分という人間なのだから、仕方ない。
一番の強力な味方は自分自身でないだろうか。
二番手、三番手と味方は多い方がいいが、先頭を率いるのは自分だということ。
そのことをしっかり心に刻んで人間社会を切り抜けていくつもりだ。
今のところ、落ち着いている。
訓練にも休まず通うことが出来ている。
メンバーとも悪くない、むしろ良好な関係を築けているいると少なくとも私はそう思っている。
訓練後も無理せず、自分にあった社会生活を送るつもりである。
うつの完治は、難しい。
今だって、うつと隣り合わせの生活であり、いつまた悪化するかわからない。
たまに、根拠のない不安が押し寄せることもある。
不安がやってきたときは、花を見たり、飼い始めたペットと過ごしたりして気持ちを落ち着ける。
通院はずっと続けている。
これからも、ずっと続けるつもりである。
うつになって良かったこと
状況は大きく変化した。
まず、社会との関わり方を変えたという点、自分を大切にするようになったという点、そして、人生が楽しくなったということである。
他人の評価を気にして、自分を犠牲にしていた日々より、今の生活の方が楽である。
うつになって私の人生は私が主人公だということに気付き、人生を楽しめるようになった。
うつは、私に改めて大切なことを気づかせてくれたのだ。
“うつ”を克服して、今伝えたいこと
振り返って見ると、あっという間だった。
仕事に行くことが出来なくなり、退職、ひたすら前に進もうともがいていた日々を経て、今がある。
そして、うつになって学んだことは沢山ある。
まず、無理をしないこと。
無理をしても、何も良いことはなかった。
仕事で無理をして、頑張って、頑張り抜いて、そこで体調を崩してしまった。
崩れるまでは早かった。
けれど元気な自分を取り戻すことは、とても難しいことであった。
一種の甘えかもしれない。
けれど私は良くも悪くも甘えた人間でも良いと割り切れるようになった。
それが、私である。
自分は自分であること。
今もそう言い聞かせている。
時間は必ず流れる。
それと同様に状況も必ず変化する。
ずっと、この状態が続くことはないのだ。
良い時も有れば、悪い時も有る。
自分が思うようにマイペースに生きて、やりたいことをやっていた方が、断然に楽しいということがわかった。
人間性を高める意味では、社会と距離をおくということは正解だった。
空っぽの私が、自分の時間を持つことで、自分ってこういうことが好きなんだ、こういうことが出来るんだと思えるようになり、自分を知る良い機会となった。
そして、あらゆることに興味・関心が持てるようになった。
切羽詰まった人生に終止符を打ち、自分に見合った生き方を選んだからこそ、今の私がいる。
自分を大切にして、これからも生きていたいと思う。
自分を守るのは、自分しかいない。
自己中心になってはいけないが、ある程度のところまでは自分をしっかり大切に守っていかなければならないと思う。
私はこれからも“うつ”としっかり向き合って、人生を歩んで行くつもりだ。