離婚に苦しむ男性へ送る気づきのヒント
著者:克己心
私は男性だ。
離婚した時、女性は男より強いと実感させられたのだ。
だから、男性に向けてこの記事を書くことにしたのである。
離婚は今では珍しいことではないし、私の周りに離婚経験者は多いがみな何事もなかったように生活しているのだ。
それぞれの離婚について話したことはないが、様々な事情で望まない結果を受け入れたのだ。
幸せな人が不幸な人の痛みを知ることはできないのだ。
当事者でない人は、この記事を読んでも何とも思わないはずだ。
この記事は、離婚という現実を経験したまたは直面している男性の気づきに役立てばと考え書いたものである。
自分の愚かさを記事にして、誰かが気づきを得られればきっと役に立ったことになるのではないかと考えたのだ。
何故自分が離婚を
良くない出来事があると「何故自分がこんな目に合うんだろう」と思うのが人間だ。
離婚当時、私もそのように考えていたのである。
その頃の私は、自分の考えは常に正しいと思っていて社会的にも認められていたのだ。
ある日冷蔵庫の中の妻の父親がお土産としてくれた一夜干しのイカが賞味期限切れになっていたのを見つけた時だ。
貧乏育ちだった私は、食べ物を粗末にしてはならないと教えられて育ったので「専業主婦なのに自分の父親にもらったお土産の賞味期限の管理もできないのか」と妻を叱ったのだ。
考えてみればそんなことが離婚のきっかけだったのだ。
その日から妻とは口を利かなくなり、妻が出かける時に声をかけても無視して出勤するという状態が続いたのである。
ある日嫌になった妻は、子供を連れて実家に戻りその日私が帰宅した時アパートには妻も子供もいなかったのだ。
母から「いったい何があったの?○○ちゃん実家に帰ってきたって向こうのお母さんから電話があったけど」と電話があり、私は状況を理解したのである。
妻の実家は近くにありよく帰っていたので、これから帰ってくるのだろうと気にも止めていなかった時のことである。
その後、妻の実家に電話をすると妻の母親は「二人でよく話し合いなさい」とわずかな望みを託し妻に電話を代ったのだ。
次の日妻の実家に行くことにして、電話を切ったがそれが間違いだったのだ。
後で言われたことだが、妻は実家に帰ったことを知ったらすぐに迎えに来ると思っていたらしいのだ。
迎えに来たら帰ると考えていたのに私は行かなかったのだ。
妻の実家に向かう道すがらで「誠意を見せる謝り方は」と考えながら辿り着いた答えは「土下座」である。
時すでに遅しで、すでに妻は離婚の決意をしてしまっていたのにもかかわらずだ。
妻の父親は建設会社の役職をしており、「いつ帰ってきても娘や孫の面倒はみる」と日頃から言ってたらしいのだ。
玄関で土下座する私を出勤するからと妻の父親はまったく相手にしなかったのである。
妻の父親が出勤した後、私は妻の実家にあがり妻と妻の母親と話をしたがそれも無駄なことだったのである。
妻は一晩中泣いていたため、目を晴らし寝不足のような顔と鋭い目つきで「帰るつもりはないし娘は自分が立派に育てる」と決意を固めてしまっていたのだ。
帰り際に「これでもう会えないかもしれない」と思った私は、まだ1歳にもなっていなかった娘の手を握って「バイバイ」と言って帰ってきたことは今でも忘れられないことである。
何度か電話で説得したが、私がいない間に妻は自分と子供のものをアパートから実家に運び出し、判が押された離婚届と離婚協議書をテーブルの上に置いていったのだ。
こうして離婚が成立することになってしまったのである。
どこがいけなかったのか
離婚当時、怒った時相手にとった態度は完全無視だ。
今問題になっている、いじめと同じだ。
当時の私は、無視される者の痛みを知らなかったのだ。
今思えば妻は相当辛かったとわかることである。
当時私は30代、中小?零細?企業で業務部長をしており専業主婦だった妻に子育てを任せていたのだ。
後に聞いた話では、育児ノイローゼ気味だったらしいのだ。
毎日帰りが遅く、子供と接することができるのは朝と休日ぐらいでそれ以外はすべて妻が子供の面倒をみていたのだ。
休日私が遅くまで寝ていると、子供が泣いたり寝ている所に行かないように気を使ったりして私が怒らないようにしていたのだ。
怒ると無視されるからだ。
私が娘に関心がなく仕事を好んで遅くまでやっていると妻は思っていたらしいが、そのころ私は子供が何をしても怒るつもりなど全くなかったのだ。
そんな心の行き違いもあったのだ。
妻の姉は万引きで捕まったりするような人だったので、私は妻の実家からみんなで食事に行こうと誘われても妻の姉が嫌いで行かなかったのだ。
妻の実家との壁もまた離婚の原因になってしまったのである。
離婚・不幸へのターニングポイント
妻が実家に戻ってから、私は不眠症と戦うことになるのである。
目を閉じると思い出が走馬灯のように頭の中を巡り、眠ることが出来ず市販の睡眠導入剤で眠ろうとしていたのだ。
体調は悪くなり、風邪をひいて高熱を発した状態で仕事をしていたため失敗やトラブルを抱えることになってしまったのである。
一度は、脳梗塞を発症していた父が心配して母と泊まりにきてくれた時に愛情の深さを感じ立ち直ろうとしたが不眠症は改善しなかったのである。
どうしようもなくなってしまった私は、神頼みしかないと思い妻と子供が帰ってくるように夜通し神や仏に祈ったほどだ。
不眠症は、判断力を低下させ交通事故を起こす結果にもなってしまうのだ。
ターニングポイントの話は、良くなるものが多いが私の場合悪くなるターニングポイントだったようである。
その後転職を繰り返し、現在は在宅ワーカーである。
不眠症改善のきっかけは入院
私の不眠症は、入院をきっかけに改善されたのである。
離婚直後の不眠症を発症していた時期に社員旅行があり、私は立場上参加せざるを得なかったのだ。
帰国後、疲労から扁桃炎を発症40度の高熱を発して入院することになってしまったのだ。
高熱で意識がもうろうとしていたためか入院して点滴を受けながら治療する間に、普通に眠ることが出来るようになったのである。
離婚からの学びと気づき
退院した後、人生に虚しさを感じた私は会社を退職したのである。
離婚するまでは信心深く、正しいことをしていれば必ず神様がとか先祖の霊を大切にしていれば必ず先祖がなどと思っていたことがすべて否定されてしまったのだ。
すべてを失ったような気持ちになり、妻と子供と暮らしたアパートを引き払い実家に帰る決意をしたのだ。
人は何かをきっかけにやる気を無くしたり、やる気を出したりするものである。
自分にとって離婚は、人生観を変える出来事だったのである。
離婚して私は、自分の考えは自分にしか通じない変えられるのは自分だけと学んだ。
神や仏がこの世界にいないことや人生どこに落とし穴があるかわからないが結果を招くのはすべて自分であると気づいたのだ。
この世界は、宗教や学校で教育されてきた正しいとされることをしても必ず成功するとは限られていない世界だ。
離婚を経験して、今伝えたいこと
離婚して何もかも無くしたような気がしていた私が、2度目の結婚もでき、子供は欲しかったが出来ず今は妻と二人暮らしだ。
それなりに幸せである。
就職できずに在宅ワーカーをしているが、やれるかどうかはわからない状況だ。
それでも毎日決まった時間に出勤し、理不尽な上司に言われたことを納得するしないにかかわらず従わなければならない仕事よりはましだ。
離婚してから15年以上生きてきたのだ。
時間が解決したということもあるだろうし今の妻のおかげとも思えるのである。
妻に出会えたのは奇跡だ。
神や仏はいなくても何かわからない力は働いているのかもしれないのだ。