失業・リストラ・転職

休む暇もなく働いたのにリストラされた私が立ち直れた理由

佐藤恵子さん(女性・40代前半)

21歳の冬、勤務中に、地域を統括している本部の課長から電話が入った。

普段は直接電話が入ることなどない。

そして当時「若い社員を対象にリストラが推し進められている」という噂があった。

嫌な予感をしながら電話に出た。

内容は、噂に聞いていた通り、

「遠隔地への異動、ただし異動先は未定」

というものだった。

誰もイエスといったものはいない、と聞いていた。

それでも私には、その仕事が好きだったし続けたい思いがあった。

だが会社が私をリストラの対象として考えているなら働き続ける意味はあるのだろうか。

今なら問題になるかもしれないが、サービス残業の多い職場だった。

無給での休日出勤も少なくはなかった。

1年中仕事をしているような錯覚に陥ることがあるほどに毎日が忙しかった。

それでも仕事が好きだったという記憶しか、今も残っていない。

当時の業務内容は店頭での販売だったが、実績も出していた。

納得行かないまま、私は自分の進退について考えなくてはならなくなった。

不条理にリストラされるまでの経緯

リストラを推進していた会社の状況

当時私が働いていたのは、全国展開している、ある商品の販売店だった。

そのジャンルに詳しくない人であっても、誰もが名前を知るような有名な会社だ。

私がアルバイトとして入社したのは高校卒業後、18歳のときだ。

公務員浪人をしたためアルバイトを探しており、店先にあった張り紙を見て応募した。

即日採用が決まった。

初めてのアルバイトだったため苦労はしたが、毎日ひたすら働いた。

すると予想もしていなかったが、数ヵ月後に正社員登用してもらえることとなった。

私が正社員登用されたころは、会社の業績は順調だった。

店舗数も多く全体での会議などは全く開催されず、数字でしか判断はできなかったが当時は黒字だった。

しかし、そこからわずか2年も経たないうちに、純利益が下がり、リストラの噂が出始めた。

対象となったのは10代から20代前半の若い社員だった。

退職金の対象とならない社員がピックアップされていると聞いた。

特に独身の女性社員は切りやすかったらしい。

実際毎月のように若い社員が「自己都合」で辞めていった。

「退職することになりました」

と聞くたびに、なんと答えたら良いか

そんな状況だったために、いつかは自分も対象になるだろうとは感じていたのだった。

家族の反対

リストラといっても、会社からの打診は「遠隔地への異動」であった。

そのため本気で仕事を続けたければ「異動」という選択肢も残っている。

どこなのか打診の時点では分からないという問題はあったものの、本気で志願したら行けるのかもしれないとは思った。

帰宅した私は、母親に状況を伝えたが、猛烈な勢いで反対され、相談する余地もない勢いだった。

前年に父親が他界しており、妹は、まだ学生。

母親も働いてはいたものの、正直なところ、経済的な余裕はなかった。

そんな状況であったことから、反対するのも無理はない。

一家の大黒柱を失って家族がナーバスになっていた時期だった。

家族には、一度話して反対されたきり、もうその話はできなかった。

母親がそれ以降不機嫌になってしまい、手がつけられなかったからだ。

妹も、異動の話をすると難色を示した。

異動の打診があって、それがリストラだと分かっていても、それでも仕事は続けたかった。

勤務先はどこでもよかった。

しかし家族に猛反対されてしまい、「行きたい」とも言えなかった。

数日後に課長から確認の電話が入り、私は「異動はお受けできない、自己都合で退職する」と答えた。

リストラによる苦悩

退職すると答えたものの、まったく現実味はなかった。

なぜなら退職が決まった後も、休みも返上して働かなければならないほど忙しい日々だったからだ。

週末ともなるとトイレに行く暇もないくらい忙しかった。

食事をする時間がないことだってあった。

会社全体の数字からみれば確かに「業績悪化」と判断できる。

しかし店舗単体で見れば、それほど売り上げが悪いわけではない。

どうして全社的な問題のせいで私が退職しなければならないのか、納得できなかった。

それなのに、まさか会社から「不要」と判断されるなんて夢にも思わなかった。

忙しさと、それに対する結果の著しい隔たりが理解できなかった。

毎日きちんと頑張っていれば正当な評価を受けるのだと思っていた。

だからこそ正社員になれたのだと。

人間関係の良くない職場だった。

理不尽なクレームも多かった。

それでも涙をこらえて頑張ってきた日々が全部無駄になった気がした。

仕事が好きだと考えていた自分が滑稽に思えてならなかった。

働いている最中は気が紛れたものの、一人になるとつらくて、涙が止まらなかった。

わずか数年働いてのリストラですらつらいのだから、何十年も働いた人がリストラされたら想像を絶するつらさだろう。

毎日とてもつらく、退職間際まで、それは続いた。

気持ちの切り替え

当時の私を救ってくれたのは、友人たちの励ましだった。

「仕事は他にもある、地元に残ったらいいよ」

「いなくなったら寂しい」

「正当な評価をしてくれない会社なら、いま退職しなくても、いずれまた理不尽な思いをするはず」

そんな言葉の数々も、最初は心に届かなかった。

それでも少しずつ、そういった言葉に、前向きな気持ちになった。

上司や先輩たちは、理不尽なリストラに憤りながらも、

「何もできずに申し訳ない」

と、声をかけてくれた。

人間関係の悪い職場だったことを考えると予想外のことだった。

打診があってから1ヶ月以上つらい気持ちで毎日を過ごしたが退職のころには前向きな気持ちになっていた。

あれから20年ほど過ぎた今でも、当時のことを思いだすと、理不尽だと感じてしまう。

前向きな気持ちになったといっても、すぐに完全に気持ちを切り替えられたわけではない。

次の仕事について、そこで楽しく働けたのも、乗り越えられたきっかけの1つになっている。

リストラを経験してから、プライベートの時間を仕事にあてることはなくなった。

プライベートと仕事をきちんとわけることで、仕事に依存し過ぎないようになった。

つらい経験ではあったがリストラから学んだことも少なくない。

乗り越えることができて良かったと、今でも思っている。

同じリストラを経験しているあなたに伝えたいこと

勤怠が悪いわけでもなく、実績も出している。

そんな状況でリストラを宣告されたら、誰でも理不尽だと感じるものだし、やりきれない気持ちになるもの。

それでも「仕事が全てではない」と気持ちを切り替えることができれば、きっと楽になるはず。

もちろんリストラが決まった直後や退職後は、つらい気持ちが続くかもしれない。

一生懸命働いていたなら、それは仕方のないこと。

真剣にやっていたからこそ、そのつらさがあるのだと思っている。

経営悪化だとしても、業績不振だとしても、リストラは理不尽だ。

特に個人の実績を鑑みないリストラには疑問を覚える。

しかし、仕事ができる場所は、そこだけというわけではない。

その職場で評価されるだけの仕事をしていたのなら、他でもできるはず。

同じ職種を探すのは大変かもしれない。

新しい仕事を覚えるのも大変かもしれない。

それでも、前に進もうとすれば、きっと道は開ける。

「今の仕事が全て」

「これしかない」

と思ってしまうと、そこから他が見えなくなってしまう。

自分で自分の可能性を断ち切らず、様々な可能性を探るのが、立ち直る近道だと思っている。